プロポーションから歴史を考える

牧衷さんの講演の一部を紹介します。
「現在というのはどういう時代か」を,「日本史の時代区分として,現在をどういうふうにとらえるか」という事をお話ししていきたいと思います。
 なんで私がこういうことをお話しするかといいますと,どうも社会を考える時に,あまりにも今までの学問の枠組みというようなものにとらわれすぎている。例えば資本主義社会という規定を日本にする。そうしますと明治から現代までずーっと連続しています。「同じ社会が続いている」というわけです。
 しかし,私はそうじゃないと考えるのです。そうなると立証したくなります。歴史区分として明治から敗戦までと,敗戦の後ははっきり違うじゃないかと,日本の社会は変わってるんだという事を立証したい。何でそんなことを言うかというと,そこがはっきりしないと過去の事についても,将来の事についても私自身の視点が据わらない,腰が据わらないんです。

プロポーションから歴史区分を考える

 そういう事がきちんと立証できるようなデータがないものかと思っておりましたら,たまたま妙な事を考えついたわけです。その時代区分を日本人のプロポーションの変化から分けてはどうかと。(笑)実はですね,日本人のプロポーションというのは考古学者がたくさんの発掘した人骨の計測をやりまして,主として東大の実験学教室にいらした鈴木ヒサシさんがやられたわけです。
 江戸時代,だんだん日本人の平均身長が小さくなった事がわかっています。その日本人の小さくなった身長が明治維新で伸びる方へ転じています。どのくらいの伸びかといいいますと大体10年で1cmです。それが1950年代の後半くらいまで続きます。この身長の変化というのは明らかに国民の栄養状態が良くなったということです。食生活の面で動物性蛋白がその前よりも多量に摂取されてるということです。
 これらは動物性蛋白の平均値というようなデータをとってみれば明らかにそのまま平行しているという事がわかります。私はやっていませんが,データをみれば立証できるはずです。
 それが1950年代の終わりから日本人の平均身長が急激に増えたのです。それまでは10年間で1cmだったのが,データをなくしてしまったのではっきりした事は申せませんが,1960年から1970年の10年間で確か5cm~8cm伸びてるんです。これは明らかに質的な変化で日本人の生活に劇的な変化が起こった。明治維新でそれまで下がっていた平均身長があがったという事と等しいというか,それよりすさまじい。国民の生活状態の改善がデータとして表れたのです。
 ではどうしてそういうことがおこるのかというと,実はこのデータは全国の小中学生の体格検査のデータです。文部省主導で全国でとりますから,非常に見事に信頼できるデータが取れるわけです。全国民の平均身長ではなくて子どもの平均身長です。
 そういうデータのない時はどういうデータを使ったかというと,これは徴兵検査のデータを使ったわけです。これには女性がないのですが,20歳の男性の平均身長のデータがあります。この2つを両方使います。
 この明治から平均身長の伸びが10年間で1cmという内容を都道府県別にみていくと,都会ではもっと伸び率は大きいんです。都会の伸び率を農村が抑えるという結果になっているんです。都会の方がひょろっとして農村の方ががっちりしてるんです。
 そういうふうに分化してきてるんです。その伸び率がどういうふうになっていくかというと,ある時期で農村の伸び率が都会の伸び率に追いついてるんです。10年間で1cmというように伸び率を抑えたのが農村ですが,10年間で1cmという伸び率を支えたのも農村なんです。

農地改革の影響

 そうしますと,農村の変化が非常に重要になってきます。1950年代の後半というと,その頃小学校6年と中学校生だった人に12~3歳の頃に何があったかと聞くと農地改革があったのです。日本の歴史の上で農地改革が重要になってくるのです。そうすると農地改革との関係を立証するために,農家の平均所得と勤労者の平均所得を比べてみます。
 もちろん都市の勤労者の平均所得もあがってますが,農家の平均所得の伸びがこれを上回っているのです。そして1970年の始めくらいに農家の平均所得が都市の勤労者の平均所得に等しくなります。そして所得の伸びは鈍化していきます。
 ちょうどその頃から,ものすごい身長の伸びが鈍化していきます。グラフでみると見事に平行関係になっています。今度は10年間で1cmくらいになります。これだけ見事に平行関係になって,身長は国民の栄養状態の変化を端的に表している。これからみると農地改革は日本の社会の質を変えるようなものであったことがわかります。
 ですから国民の生活状態が質的に変化した制度ということで,やはり敗戦というのは,日本の近代史の中での1エピソードではない。はっきり歴史時代を区分するような変換点であると私が言えるようになりました。

プロポーションがフランスと同じに

 それにその辺で座高の変化というのもあります。身長で座高を割った身長座高比というのがあります。これは足が長くなれば小さくなるのですが,身長の伸びを示している明治からの間は身長座高比は変わらないのです。
 それがギュット身長の伸びが変わるところで変化します。そうしてついに1970年の始め頃には日本の14歳から16歳くらいの女の子の平均的なプロポーションがフランスの女の子の平均的なプロポーションと同じになります。つまり足が長くなったのです。私などは胴長短足の典型的な体つきをしてますが,子どもたちがとってもカッコ良くなったのです。これは生活様式の変化です。
 そういう生活の上での激変を今まで歴史学者はちっとも視野に入れていないのです。そして政権の階級的性格はどうなんだというようなことばかり問題にしているんです。そんなことで社会がわかるのかと。われわれが社会が変わると考える時に「政権がどうだのこうだの」というよりも「国民の生活がそれでどうなったか」という方がはるかに重要なんです。そこにどうして目をつけないのか。
以上『仮説実験授業の思想と方法を問い直す 牧衷連続講座記録集Ⅳ ネイション概念の再検討』上田仮説出版刊
からの抜粋です。