国際物理教育学会で発表の論文1(和文)

 2009年1月25日に掲載した、国際物理教育学会で発表の論文の日本語版です。その後研究が止まってしまったことが残念です。
【論文の要旨】
1 高校においても仮説実験授業は有効である。
2 現在では「衝突」の教え方は運動方程式積分して力積の法則を導き、そこから運動量保存の法則を導いて説明するのが普通である。この論法はマックスウェルが最初に提唱した論法であるが、それ以前にも衝突についての理論があった。ニュートン以前の衝突の理論(デカルトホイヘンスなど)は間違いもあったが、力積の法則から導くより直観的にわかりやすいものだった。その理論を取り込んだ授業の構成を試みた。授業はこれまでの授業よりはるかに大きな成果を挙げることが出来た。


高校物理教育における仮説実験授業――《衝突》の授業を例として

     日本 長野県上田市 渡辺規夫(長野県上田高等学校)

仮説実験授業の提唱・成立
 仮説実験授業は板倉聖宣*1によって1963年に提唱された。仮説実験授業とは、板倉聖宣科学史研究の成果としての論文「科学的認識の成立過程」において述べられた理論にもとづいて運営される科学教育の内容と方法を指す。

板倉聖宣科学史研究が明らかにしたこと
      ――科学的認識における原子論的自然観の重要性

 板倉聖宣科学史研究は普通の科学史の本が近代科学の最も重要な要件として実証的精神と数学的な考え方を挙げているのに対して、これらに劣らず重要な要因として原子論的自然観の存在が加えられなければならないことを浮き彫りにした。科学の論理のすばらしさは、日常的、常識的な論理を越えるところにある。これには意図的な教育が必要である。常識的な直感よりもきわだってすぐれて適用力の広い科学の論理の筋道を教えることが必要である。そのため、仮説実験授業では単なる実証的・数量的な考え方では生まれず、またその重要性が認められなかった自然科学のもっとも基礎的な諸概念と原理的な法則の教育の重要性が全面に置かれているのである。

 板倉聖宣の「科学的認識の成立過程」の要旨(板倉聖宣著『科学と方法』所収の「科学的認識の成立過程」より渡辺要約)

科学的認識は予想を持った実験によってのみ成立する。

しばしば、生徒は白紙の状態で教育を受けると考えられている。しかし、実際には生徒は自然科学を教育される前からすでに自然についての一定の認識、イメージを持っている。そのため、単に科学上の真理とされていることを教えようとしても、自分の持っている認識と教えられたことが食い違うため、教えられたことを納得して受け入れることができない。効果的に科学教育を行うためには、このすでに持っている常識的な認識と、科学の論理に基づく認識の意識的な対決実験が不可欠である。仮説実験授業はそのような、生徒のすでに持っている認識と科学の論理に基づく認識の対決実験を仕組んだ授業といえる。生徒は与えられた問題に予想を立て、自分の考えをはっきりさせてから、予想が正しいかどうかを確かめるために実験することになる。そしてこのような過程を通じてのみ、科学的認識は成立すると考えるのである。

科学的認識は社会的認識である。

誰かがある法則を発見したとしても、それが公表され、社会的に認められなければ、その法則は科学の中に位置づけられたとはいえない。科学者の仕事は真理を悟ることではなく、それを誰でもが認めなければならないような形で証明してみせることである。クラスの多くの生徒たちに十分納得のいくような形で証明されていない法則や理論は、それらのクラスにとって科学であると主張することはできない。科学上ではすでに確認されている理論といえども、その理論を初めて理解しようとする人間にとっては一つの仮説的な存在としての意味しか持たないのである。

仮説実験授業とは何か

 板倉聖宣は、科学的認識の成立条件について研究し、そこから「科学的認識の基礎が仮説と実験にある」と結論づけた。彼はその考えを科学教育に意識的に徹底的に適用して、一つの科学教育の方法を確立した。それが仮説実験授業である。板倉聖宣はこの方法を仮説実験学習と呼ばず、仮説実験授業と呼ぶことにした。それは、この科学教育が教室におけるクラスの集団的な授業として展開されており、個人の学習を中心として展開されているのではないからである。これは、「科学的認識は社会的認識である」という板倉聖宣の科学的認識論に由来している。
 日本の近代教育は、アメリカ合衆国からの教育の理論の輸入から始まった。それまでの日本の初等教育は、個々の子供が教師の指導のもとでそれぞれの課題に取り組む形で行われていた。(江戸時代の寺子屋
 1872年以後、日本のの近代教育は、教師の指導のもと、一斉に同一内容を学ぶ方式に変わった。この場合、生徒は教師の説明を聞くだけでなく、教師に指名された生徒の答えを他の生徒が聞くことも教育の一部であり、指名されなかった生徒も指名された生徒の答を聞くことが義務づけられている。
 このような形を日本では授業と呼び、生徒一人一人の学習とは区別されている。仮説実験授業はその意味で一斉授業の一種である。

仮説実験授業の目標

目標1 目指す概念と法則をすべての子供たちが使いこなせるようにする。授業終了後クラスの生徒が終末テストでケアレスミスを考慮してクラス平均点が90点になることを基準とする。
目標2 クラスの全ての生徒が科学とこの授業とが好きになるよう組織する。授業終了後に書いてもらった感想文でクラスの過半数がこの授業を好き、または大好きと表明し、嫌いと表明するものが2~3の特殊な例外を除きいないことを基準とする。
目標3 以上のような授業が特別のベテラン教師でなくても熱意のある教師であれば誰でも実現できるような一切の準備立てをする。教師の学力に過大な要求をせず、また過重な労働を要求せず教師が喜んでこの授業を実現できるように一切の準備立てをする。

授業書
 仮説実験授業は授業書と称する一種のテキストを用いて展開される。生徒が科学上の基礎的概念を認識していくためにもっとも適当な授業というものには、ここの教師やクラスの特性にはよらない一つの法則性があると考えられる。その法則性に基づいて授業をもっとも能率的に展開しうるようにする技術的な処方箋ともいうべきものが「授業書」である。実際これまでに数多くの授業書で授業した結果どの教師・クラスでもかなり広範囲にわたって同じような授業が実現することが明らかになった。これにより、教師の負担が軽くなり、以前よりはるかに効果的な授業が可能になった。

日本の教育行政と仮説実験授業

 日本では学習指導要領によって、小学校・中学校・高等学校の教育の内容と方法が規定されている。そのため日本のどこの地域の学校でもほとんど同じ内容同じ方法で授業がなされている。しかし、実際問題として学習指導要領の規定は生徒の実状に合致していない。そのため学校の授業についていけない生徒、勉強嫌いになる生徒、学校嫌いになる生徒が少なくない。学習指導要領はガイダンスであるので強い拘束力はないはずであるが、実際には教育現場を強く支配していると考えられている。 仮説実験授業は指導要領と無関係に研究され、現場の教員の中で、その理論・方法に同意するものによって授業されている。当然学習指導要領に従っていないということで様々な問題が生じうる。
 しかし、多くの場合、そのような問題は生じていない。仮説実験授業は授業後にこの授業について生徒に意見を聞くことにしている。そして、生徒がこの授業を支持しない場合は、仮説実験授業を続けてはならない、生徒がこのような授業を歓迎する場合だけ続けるようにしているからである。実際大部分のクラスで生徒がこの授業を大歓迎するために、学習指導要領に無関係に進められる仮説実験授業を行うことが可能になっているのである。(日本の小中高の教師100万人中推定1万人がこの授業をやっていると考えられる)

高校物理教育における仮説実験授業

 仮説実験授業は小学校教育で始まった。仮説実験授業の研究の最も初期においては、高校生にはこの授業は易しすぎると考えた教師も多かった。しかし、授業書の中の問題を授業の中で生徒に与えてみると、小学生と高校生の認識に差がないことが明らかになってきた。そこで、高校においても小学校と同じ授業書で授業をするという実践がたくさん現れた。その一方で、高校生向きの授業書の作成をしようという研究も進められた。
 仮説実験授業では、授業での討論を重視する。しかし、現在の日本の高校においては、高校生は討論をあまりしない。これまでの日本の教育が注入主義的、間違いを恐れる人間を養成するシステムであるため、「間違えたらいやだ」という意識が強く働くためであると考えられている。

上田高校における仮説実験授業

 上田高校は長野県の人口12万の地方都市上田市にある生徒数1100人あまりの高等学校である。生徒のほとんど全員が大学進学希望である。15歳で入学し、3年間の課程を終えて18歳で卒業する。
 物理は希望者による選択で進路の希望によって2年生、3年生でそれぞれ60分授業で週3回の授業を受ける者と、2年生で週1.5回の授業を受ける者がいる。筆者は授業の2割程度の時間を仮説実験授業に充てている。