安部公房講演の紹介と要約

                安部公房講演の紹介と要約
                                                          紹介・要約者 渡辺規夫
                                                            要約 2021年9月11日

はじめに
 平林浩さんの講演で、「板倉聖宣さんが仮説実験授業の最初期に安部公房の考えが自分の考えに近いということで、安部公房との連携を考えていた。」という話をしてくれました。その安部公房の考えというのは『生活教育』に掲載された講演記録だったというのです。そこで国会図書館のコピーサービスでこの講演記録を入手しました。以下はその要約です。
『生活教育』第17巻第15号 昭和40年(1965年)10月1日発行 誠文堂新光社
夏季集会記念講演安倍公房「現代における教育の可能性──人間存在の本質にふれて──」

講演を一言で言うと
 教育で大切なのは、思考を飛躍する能力を育てることである。

要約
 悪い教育は間違いなくある。しかし、よい教育があるのかどうか。教育がどこまで役立っているかを判断するのは難しい。
 パブロフの条件反射論は誤解されている。無条件反射はすっぱいものを口にしたとき唾液が出る。すっぱいものを口に入れると同時に鐘を鳴らす。すると鐘の音を聞くと唾液が出る。これが条件反射である。夏みかんという言葉を聞いて唾液が出るのは条件反射のもう一段上の第2次条件反射である。パブロフによれば、言語は思考を運ぶ道具ではなく、思考そのものである。
 ヘレン・ケラーと同じような三重苦の子どもがかなり高度の知識を獲得できることを見ると、人間の教育は引き出す方法さえあれば、無限の可能性を持っているのだと思う。
 昔からやっている書き取りや読み方の教育はほとんど意味がないと思う。教えるべきは思考を飛躍する能力である。経験を積み重ねていけば認識が成立するわけではない。表現力をつけるというのは、事実をもとに理論を組み立てていくことである。
 教育は個性的で実験的なものだ。それぞれの教師が自分が楽しめる方法でやればいいと思う。教師の情熱というのは使命感ではなく、楽しむということだと思う。
 子どもたちにいかにして飛躍のチャンスを与えるか、思考の鎖の輪からはずれる思考方法がどうしたらできるようになるかに教育の重点を置くことが見抜く力を育てることになると思う。これは言葉で教えられることではなく、直観的なものだと思う。

いかがでしたか。
 この講演のどこが板倉さんと共通しているのでしょうか。板倉聖宣さんと共通しているところは、次の2つです。
①思考の飛躍の重視
 仮説を立てるときは、思考の飛躍が必要になる。仮説実験授業は実証主義や論理的厳密性ではなく、仮説の重要性にスポットライトを当てた理論である。それまで実験の重要性は強調されてきたが、仮説の重要性は当時(今も)ほとんど考えられていなかった。
 板倉聖宣さんは博士論文で未知の問題を解明しようとするときに、矛盾論と転釈が大きな役割を果たしたことを明らかにした。矛盾論も転釈も論理的思考ではなく、思考の飛躍である。板倉聖宣さんは『日本理科教育史』において千葉命吉の『創造教育の理論及び実際』を高く評価している。千葉命吉は、思考の飛躍を主張していたのである。
②教師の自発性にもとづく教育の実験を勧めていること。
  仮説実験授業をやるには教師の自発性と実験精神が必要である。