新薬の発明と仮説実験授業

新薬の発明によって死なずに済んだ人はたくさんいます。死の病だと聞いて覚悟を決めていた人が新薬によって劇的に快癒したとき、「新薬のおかげで今の自分がある」と一瞬は思うかも知れませんが、まもなくそのことは忘れて、病気になったことも、新薬で救われたことも忘れてしまうのではないでしょうか。客観的に考えれば、その後の人生はその薬のおかげなのですが、「あの薬のおかげで今の人生がある」とはほとんど考えないのではないでしょうか。それでいいのではないでしょうか。「あの薬のおかげで今の人生がある」と考えるのは、そのことがきっかけで薬学や医学に志して、新たな新薬を開発しようという人たちである気がします。「仮説実験授業のおかげで今の人生がある」というはずの人はたくさんいます。しかし、そのことを自覚する人は、仮説実験授業の授業書をつくろうと考えたり、仮説実験授業を発展させようと考える人たちである気がします。
「仮説実験授業のおかげで今の人生がある」と考える人が出てこないことは、仮説実験授業の失敗ではないと思います。いかがでしょうか。 私は、カテーテル手術によって死にかけていたところをきわどく生き残りましたが、生き残ってみると、感謝の気持ちはあるものの、死ななかったことが当たり前に思えてきて、カテーテル手術のおかげで今の自分があると思うことはほとんどありません。感謝しているのですが。「仮説実験授業のおかげて今の自分がある」と考えている人はたくさんいると思います。しかし、日常ではほとんど自覚していないのだろうと思います。