どんなことを問題として取り上げるか

牧衷さんの挨拶を聞いて考えたこと
 何かというと対立したり腹を立てたりばかりやっていては、自分の本当にやりたいことをやる時間がなくなってしまいます。自分の自由を確保するために、つまらないことに腹を立てたりしないでいきたいと改めて思いました。腹を立てるのは自分の中に満ち足りないことがあるからだと言います。仮説実験授業に巡り会った人生を得た者が何かに不満を感じている暇があるでしょうか。そんなことを感じた挨拶でした。
 管理職や同僚と争ってばかりいる人は、人生における争点をどこに選ぶかを決定的に間違えているように思います。
 授業においてはつまらないことを問題として取り上げれば、つまらない授業にしかなりません。仮説実験授業で楽しい授業が実現しているのは、授業書でよい問題を取り上げているからです。「授業でどんな問題を取り上げるか」によって授業の質が規定されてしまうのです。よい授業をしようと思ったらよい問題を取り上げる必要があります。そのよい問題を見つけ出すことは簡単ではありません。子どもたちが偶然気がついた問題を取り上げて授業をするのは、大抵の場合うまく行きません。子どもたちがよい問題に気づくことは多くの場合期待できないことだからです。
 授業と同様に、仕事や人生においても、たまたま出会った問題を取り上げて人と争ったりしても仕事も人生も充実することは普通ありません。その争点は、たまたま子どもが取り上げたつまらない問題を授業で取り上げるのと同じく、取り組んでも有益なことはほとんど何も生み出さないことが普通だからです。管理職や同僚から文句を言われたからそれに怒って、それを争点として取り上げるのは分別を欠いていると言わざるを得ません。「何を争点として取り上げるか」によって、仕事や人生の質が規定されてしまうのです。ですから、たまたまぶつかった苦情や横槍はうまく受け流して、争点とするにふさわしい問題を探す方が賢明な選択だということになると思います。