よい問題とは

講演「物理基礎をどう教えるか」より
 2月8日に講演しました。物理が専門でないにもかかわらず、物理基礎という科目を教えなければならなくなった先生のための講演でした。講演の一部を紹介します。
問題の一例を挙げますと、
「真空のボンベと水素ガスを入れたボンベはどちらが重いか」という問題があります。こんな問題はなかなか思いつきません。こういう問題を思いつくのは科学史の研究がもとになっています。ガリレオガリレイの書いた本や論文をよく検討すると、当時問題になっていたことが明らかになります。アリストテレスの考えた軽さが存在するかという問題です。当時火は軽さがあるので上に行くと考えられていました。ガリレオは火も重さがあると考えました。そのことを巡って論争があったのです。同じ考え方を今の生徒もするのではないかと考えて、当時問題になっていたことを現代的に書き直した問題がこの問題です。
 「水素に軽さがある」と考えると水素はボンベを上に持ち上げようとするので、はかりに乗せれば軽くなるはずです。「水素に重さがある」と考えると水素の重さが加わるのではかりに乗せれば重くなるはずです。
 この問題のもう一つの特徴は実験的に判定できるように問題ができていることです。ボンベをはかりに乗せて測ったらどうなるかと聞いていることです。どちらが重いはずかではなく、はかりの目盛りを読むとどうなるかという現象を聞いているのです。このように聞くことでどちらが正しいかを判定するときに解釈を交える必要がありません。この問題はどちらが正しいかを誰の目で見てもはっきり判定できるような問題なのです。
 このように、よい問題とは根本的な哲学に関わる問題で、実験的にはっきり判定ができ、だれもができてもよさそうなのに、予想が大きく分かれてしまう問題です。よい問題は生徒が考えたくなり、先生は学力調査をしたくなります。さらに調査をした後で実験をして本当はどうなのか知らせたくなります。知らせると生徒はさらに喜びます。授業を受けた生徒も授業をする先生もたのしいのです。
 このような先生も生徒もたのしいという学力調査がもとになって仮説実験授業が誕生したとも言えます。このような学力調査は生徒の気持ちがわかっている調査です。なぜ生徒の気持ちがわかるのでしょうか。これは科学史上の大問題になった問題です。そのような問題を生徒に提示すれば生徒も強い関心を示すのではないかと予想できます。しかし、それは予想です。この予想が正しいかどうかは生徒に聞いてみなければわかりません。生徒に聞いてみると生徒は大喜びしました。科学史上で大きな論争になった問題は、哲学的な内容を含んでいます。そのような問題は科学史上の人物だけでなく、現在の生徒も大きな興味関心を示すことが明らかになったのです。生徒は哲学的な問題に強い関心を示すのです。
 このような問題を生徒に示していくと、先生は生徒の気持ちがわかっていると言われるようになります。生徒の気持ちがわかっているのは、こういう問題を作った人ですが、その問題を選び取って授業で生徒に示す先生はやはり生徒の気持ちがわかる先生なのです。
 ですから、生徒の気持ちがわかるための方法として有力な方法は科学史に学ぶことと、仮説実験授業に学ぶことです。さらに、生徒に聞くということと、授業記録を読むということが有力な方法です。
 生徒の気持ちがわかるというのは、生徒の興味の持ちそうな話題、たとえばテレビで話題になっていることを取り上げてそこから入っていくということではありません。生徒の気持ちを理解するにどうしたらいいかということは、教育学上の大きな研究課題です。どうすれば生徒の気持ちを理解できるかという問題に対してこうすれば理解できるだろうという予想を立ててみることが必要です。そして、その予想が正しいかどうかは、生徒に聞いてみるという実験を通して明らかになるのです。仮説実験授業はそのような生徒の気持ちについての法則性を明らかにした授業だと思います。芸能関係のことを話題にして生徒の関心を引きつけようとするよりも、仮説実験授業をする法がはるかに生徒の気持ちがわかる先生になれるのです。
 生徒の感想文を読むと「実験が楽しい」という感想文がたくさん出てきます。これはよく考える必要があります。「実験が楽しい」というのはそのとき予想・仮説を立てて考えることが楽しいのです。実験操作が楽しいわけではありません。手の込んだ実験をやって見せても生徒は手品をみるのと同じで生徒の頭は働いていないのであれば、楽しくはなりません。楽しい授業とは生徒が自分の頭で考える授業です。自分の頭で考えることが楽しいのです。