フリーメイソン

 板倉聖宣さんがフリーメイソンの研究を始めたそうです。何の研究だかちょっとわかりませんが、おもしろそう。モーツァルトフリーメイソンということは聞いていましたが、それが何を意味するのか。ハイドンフリーメイソンというのは知らなかったです。ベートーベンもフリーメイソンだった可能性が高いということです。
人間を大切にするということらしいのですが、これからの板倉さんの研究に期待しています。
フリーメイソンの音楽~フリーメイソンと大音楽家たち~》というCD(2枚)を6900円でアマゾンで買いました。高いようですが、今、アマゾンを見ると140000円以上します。板倉さんの研究により需要が急に増大して値段が上がったということなのでしょうか。通勤の自動車の中で運転しながら聞いています。聞いてもフリーメイソンらしいということはどういうことかはっきりしません。耳に心地よい音楽ということは共通しているようです。モーツァルト弦楽四重奏曲ハ長調 K465「不協和音」 やベートーベンの弦楽四重奏曲第7番ヘ長調 作品59-1 「ラズモフスキー第1」も入っています。ハイドンの「オラトリオ」、シューベルトの「冬の旅」もフリーメイソンの音楽として紹介されています。しばらくフリーメイソンの音楽というのを聞いて、板倉さんが研究している領域のことに関心を持ちたいと思います。
 フランクリンもモーツァルトフリーメイソンで、フランクリンはアーモニカというワイングラスを使った楽器を発明し、モーツァルトはその楽器のための協奏曲を作曲しているそうです。とするとモーツァルトはフランクリンは会っているのではないかという予想が立ちます。調べてみると、会っている可能性がきわめて高いというところまで突き止めたということです。
 冬の大会の科学検定のナイターで板倉さんは2時間以上話し続けました。話の中で印象に残った言葉は「フリーメイソンとして生きよ」でした。どんな意味なのでしょうか。今、日本の教育制度のもとで仮説実験授業をやっているなどという「勝手な」行動はフリーメイソンとして生きているということなのでしょうか。フリーメイソンというのは自由な石工(大工は木工が専門、石工(いしく)は築城が専門)という意味で、自分の腕を頼りに、領主に従属せず自由に生きていたということです。
 モーツァルトなども自分の才能を頼りに作曲によって、領主に従属せずに生きていた。
 われわれ教員は教員という身分を与えられて自由を失うことによって給料をもらうという立場のはずです。しかし、仮説実験授業をする教員は、「生徒が授業を歓迎する」ということを頼りに自由に生きています。腕の悪い石工が自由に生きることは無理であるように、生徒に支持されない教員は自由に生きることは無理でしょう。われわれもフリーメイソンなのかも知れません。