運動も仮説実験

牧衷さんの談話の一部を紹介します。

 でも、運動も仮説・実験で進むんだというのは、方針書いたやつでないと分からないね。方針を書かない人は自分に責任ない。方針書く人は自分に責任ある。だから、運動自体が仮説実験的にならざるをえないの。だけど、ついていった人たちは仮説立てる必要ない。だから実験にならない。やっぱり、そこはずいぶん違うんですね。
 そのときの自分の鍛え方が違うからね。正直言って一生の中で、ボクが学生運動のあの時期くらい猛烈に勉強したことはないですもの。あとは、旧制高校の受験勉強のときだけど、これは学校の勉強という意味での勉強はそのとき一番ハードにやったかもしれないけども。でも、ぼくの全人生をみれば一番エネルギーを使ったのはその時期ですよね。特に学生運動の高揚期だし。