たのしい授業とたのしい運動の秘訣

牧衷さんの談話の一部を紹介します。
 どうしたら楽しい運動が出来るのか。条件は一つしかないんです。デール・カーネギーの『人を動かす』で,「人を動かす原則は一つです。人をその気にさせることです。」と言ったのと同じなんです。自発的に運動すれば絶対楽しいです。自発的でなかったら絶対楽しくないです。自発的でなく仮説実験授業をやらされたらこんなつまらないものはないと思いです。
 先生方みんないい授業をと思ってやっていると思うんです。そのなんとかしようと言うときに,わくをはずして考えることが出来る人がなかなかいないんです。
 どんな先生でも生徒が寄ってくる方法があるんです。その先生が本当に教えたいと思っていることを教えることです。本当に教えたいと思うことを教えれば生徒は必ずついてきます。「これを伝えずに死なりょうか」というくらいに思っていなければダメです。そういうものがあれば生徒は寄ってきますよ。それは授業の熱が違うから。
 これは運動をやっているとよくわかるんです。ぼくは,「仮説実験授業は子ども中心だ」ということを否定しないんだけれども,子ども中心であって教師中心でないという意見には絶対反対なんです。というのは,客観的にどんなに正しい方針を出しても,活動家がこれで行けると思わなかったら絶対成功しないんです。授業書というのは教師を通じてしか生徒に届かないんです。この教師がある授業書をこれこそやるに値すると思ってやるのと,とにかく楽でいいからこれでやるというのとでは天地雲泥の差なんです。仮説実験授業の授業書を使ってやれば必ず授業がうまく行くというのはうそです。
 それがうそだということはぼくは実例をいくらでも挙げることが出来る。いい授業を見に行ってごらん」という先生を10人くらい挙げることができます。その10人の人というのは本当に教えたくてやっているんだよ。その10人くらいの人の中には,仮説実験授業の授業書を片っ端からやるなんて人は一人もいません。みんな授業書を自分で選びます。自分が納得し,これをどうしても子どもたちに伝えたいと思ってやっている先生,こういう先生がすばらしい仮説実験授業をやっているんですよ。
上田仮説出版『牧衷連続講座記録集Ⅶ──仮説実験授業と学生運動の源流』より抜粋。