牧衷式発想法セミナー要項

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牧衷式発想法セミナー2008年11月の牧衷式発想法セミナーの要項の一部を掲載します。この会はよかったと思いますが、要項もよくできたと思っています。「会の趣旨がよく伝わる。」「要項だけ読んでもおもしろい。」というお誉めのことばをいただいたりしたので、うれしくなってブログにその一部を掲載します。2007年9月に泊まり込みでこの会について牧衷さんと打合せをした成果が出ています。「バチカン市国の住民はバチカン市国の国民か」なんていう問題は、筆者が思いついた問題で気に入っています。

以下、要項

仮説実験授業と自発性の組織論
  ──戦後精神・映画・現状分析・教育

 今回のセミナーでは、仮説実験授業で実現している楽しさを人生の他の部分に拡張し、より楽しく生きるためにどうしたらいいかを考えたいと思います。

セミナーⅠ  戦後精神とは何か──文学の変化からの考察

牧衷さんは「1945年8月15日について書かれた記録は悲惨さを強調しているものが多い。でも、それはぼく自身の実感とは違っている」と言います。当時海軍兵学校の生徒だった牧衷さんは「日本はこの戦争で負ける」と思ってはいましたが、「日本が負ける」ということはどうなることなのか想像もつかなかったと言います。
 「1945年8月15日のその時の感じは、明るいとは言えないまでも、暗くなかった。自分が透明になったような感じだった。それ以後起こった社会の混乱についても、まともに書かれたものがないのではないか。そのときぼくが感じたことは何だったのか。その時の感じ方と、その後に続く解放感や戦後精神が未だに正当に評価されていない。文学も1945年8月15日の前と後ですっかり変わってしまった。当時の実感と、文学の戦前・戦後の変化から、戦後精神とは何かを明らかにしたい。」
[牧衷さんの言葉]次の世代に語り継ぎたいこれまで話したことがないテーマです。

映画 岩波科学映画のDVD化第2集と授業への活用

セミナーⅡ  たのしい現状分析── 世論の変化を予想する

 日本で憲法改正論議がなされていた頃、どうしたらいいかを牧衷さんに聞きました。その答は「何もしなくてよい」でした。牧衷さん曰く「まもなくアメリカで中間選挙が行われる。この選挙で(アメリカの)民主党が勝てば日本の憲法改正論議は吹っ飛んでしまうだろう。だから、今は運動しなくてよい。」
 それまでは世論調査によると日本国内の「今の憲法を変えた方がよい」という意見は5割を越えていました。しかし、アメリカの中間選挙民主党が圧勝して以後は、日本国内の世論は激変し、「今の憲法を変えなくてよい」という意見が圧倒的多数になりました。「何もしなくてよい」と言ったときに牧衷さんはこうなることを予想していたのでしょうか。
 憲法改正の動きに危機感を持った人々が憲法を変えることに反対する運動を起こそうとしましたが、運動は盛り上がりませんでした。ところが、運動とは別のところから改憲論議は消え去ってしまいました。今思えば、改憲論議のとき動き回る必要はなかったのです。牧衷さんのように現状分析が出来るようになるにはどうしたらいいのでしょうか。現状分析の秘訣を聞き、現在の政治状況、経済状況について現状分析してみたいと思います。

セミナーⅢ  勤勉と怠惰──人生の秘訣

 目標を持って頑張ることが大切と言われています。しかしそれも状況によります。客観的条件のないところで頑張っても成果は上がりません。そういうときに無意味に頑張る人たちを牧衷さんは「壁派の人たち」と呼んでいます。目の前に壁があると壁に向かって突進し壁に頭をぶつけて目をまわす。愚かというほかない行動です。しかし、これを愚かだと思う人も、自分ではしばしば同じようなことをしています。
 「牧派」の人たちは「何にもせずも芸の内」と言って、無為に過ごしている内に、機が熟して来るのを待つことを知っています。これこそが、人生の秘訣、仕事の秘訣と言えましょう。人間は幸運から逃れられないのだから、状況によっては無為に過ごす方がいい場合も多いことを知っているかどうかが人生後半の幸不幸を決めるのです。
 努力とあきらめ、目標と無為の使い分けこそが人生のコツ、仕事のコツと言えるのです。

ナイター わが師、わが友、わが仲間

このテーマで牧衷さんに自由に話してもらいます。

セミナーⅣ  国民概念の再検討──国民経済学から世界経済学へ

 日常用語と学問用語を混同すると、とんでもない混乱に陥ります。物理学の「力」を教えるとき、日常用語の「力」と学問用語の「力」を混同すると生徒は混乱してしまいます。社会の科学でも日常用語と学問用語を区別しなければなりません。
 「国民」という言葉は日常用語として使われていますが、これは学問用語の「国民」と区別しなければ、社会について正しく認識することはできません。たとえば、ローマの中にある世界最小の国「バチカン市国」に住んでいる人たちはバチカン市国の「国民」なのでしょうか。また、中国に住んでいる人たちは中国の「国民」なのでしょうか。北京オリンピックに200近い国々から選手が出場しましたが、それぞれの選手がその国の「国民」なのでしょうか。日常用語としては「国民」と言うかも知れませんが、学問用語としては「国民」と言うことは出来ません。バチカン市国や中国は国民国家ではないのです。この点の混同が社会についての認識に混乱を招いています。
 国民概念を再検討することを通じて以下の問題を検討します。
1 国民経済学から世界経済学へ
 「国民経済学とは何か」について考えます。経済学はもとは家計学から始まりました。かつては家計学の延長で「国」の経済を考えていました。当時の「国」の規模は家計学の延長でもなんとか運営できたのです。しかし、「国」が「国民国家」の規模になると、家計経済学では国家の経済を運営することは出来なくなりました。国民国家の経済運営には家計経済学の延長でない経済学──国民経済学が必要だったのです。アダム・スミスなどの国民経済学はこのような時代背景の中で誕生したのです。(ちなみに、牧衷さんが東大生の時に受けた経済学の試験問題は「国民経済学とは何か」だったそうです。)
 江戸時代の藩の経済は家計の延長として考えられていました。家計は赤字になれば節約するしかありません。だからこそ赤字に苦しんでいたどの藩も節約することしか考えつかなかったのです。廃藩置県により日本も国民国家となり、国民経済学で考えなければならない時代に推移しました。経済規模が大きくなれば小さい規模ではできていたことも出来なくなるのです。
 現在の経済は国民経済学の成立した頃よりさらに規模が大きくなっています。ですから、現在の経済問題を国民経済学では扱うことが出来ません。ユーロ経済学、日中韓経済共同体経済学、さらに世界経済学を建設しなければならない時代になっているのです。(グローバリゼーションは国民経済の世界経済への移行ではなく、アメリカの一国経済学の枠を世界に押しつけようとするもので時代錯誤もはなはだしい代物です。)
 2 国民政治学から本来の意味の国際政治学
 現在の政治は「国民政治学」の枠では解明することはできません。国際政治学が必要とされる時代になっているのです。しかし、現在「国際政治学」と呼ばれている政治学の中味は「国民政治学」にすぎません。時代にふさわしい政治学がどんなものであるかを考えます。

セミナーⅤ  自発性の組織論──運動の秘訣・教育の秘訣

 牧衷さんは『発想』3号と4号に「今、市民運動にとって何が必要か」という論文を書きました。その要点は、「自発性に依拠することなしに運動は成功しない」ということです。ところが、これまでの公害反対運動家、環境保護運動家の多くは「自発性に依拠していては運動はできない」と思いこんでいたように思われます。その考えに基づく運動はうまくいきませんでした。そして、うまく行かない原因を努力が足りないことや、敵が卑怯だということに求めようとしたのです。
 牧衷さんは「運動の秘訣は自発性を組織することにある」と言います。これは、教育の秘訣でもあります。仮説実験授業は生徒の自発性を組織することに成功しているからこそ、大きな成果を挙げ続けているのです。授業書は自発性を組織する方針書です。自発性をいかにして組織するか、これが運動の秘訣であり、教育の秘訣であると言えましょう。
 「生徒の自発性を尊重しすぎると、生徒が勝手なことをしてまずいのではないか」という意見があります。実際、生徒を叱ることが出来ない先生がいて、クラスが崩壊してしまう例も少なくありません。「自発性が組織されたときに生徒は意欲を持って物事に取り組む」ということは、生徒がしてはならないことをしたとき叱ってはならないということではありません。してはならないことをしたときは自発性尊重の立場に立つのではなく、反自発性の立場に立って、しっかり叱るのが教師としての正しいありかたです。自発性を尊重してはならない場合のことも理解して初めて自発性の尊重ができるのです。

セミナーⅥ 「公」概念の再検討──教室における「公」

 「公」を英語で言うと、publicと思う人が多いようです。しかしpublicという言葉は「おかみ」というニュアンスを持っています。「個人の立場を越えた「公」の立場に立つ」というときの「公」に当てはまる英語はcommonです。commonの立場に立つというのは、みんなのために自分を犠牲にするというのではありません。commonの意味の「みんな」の中には自分も入っているのです。
 教室で騒いでみんなの勉強を妨害している生徒を注意したら、「教室で騒ごうが何しようが、それは個人の自由だ」と言われました。あなたはこの生徒にどう言いますか。「個人の自由や権利を認めすぎるから、このような自分勝手な人間ができる。」と言う人もいます。そうでしょうか。
 この問題は、commonの立場に立てば解決できます。 今回はcommonの立場に立ってクラス運営をする秘訣を話してもらいます。「エゴ越えざれば、エゴを守れず」の応用版です。

セミナーⅦ   連想と比喩──頭のよくなるコツ

 吹き矢の力学を勉強して「力を長い時間加え続ければ吹き矢はいくらでも速くなる」ということを学んだら、「受験勉強も長い時間かければ出来るようになる」と連想してしまうようになると、勉強がおもしろいし、勉強したことを応用できるようになります。学んだことを言葉どおり覚えているだけで連想が働かない人は学ぶことが楽しくないし、学んだことを役立てることができません。
 「人は宝のあるところに心もある」という比喩的表現によつて私たちはそこから深い意味を読み取ることが出来ます。「詩は認識の武器」なのです。連想と比喩を自由に使いこなせるようになると認識の幅と深さが増すのです。「頭がいい」というのは連想と比喩を使いこなす能力とも言えましょう。シナリオを書くときの語法にも触れながら牧衷さんが、頭のよくなるコツを論じます。