明治維新と1945年の強調

牧衷さんの講演の一部を紹介します。
 僕みたいに明治維新を強調して,なおかつ1945年を強調するやつはなかなかいないね。明治維新を強調するやつはそこだけ強調して,何か国民精神刷新運動かなんか始めるわけだね。例の(森首相の)「天皇中心の神の国」発言なんかそうでしょう。
 だから現代っていう時代は,日本にとってみれば国民国家が形成され,工業化が完成され,国民主権になってもうアメリカとかイギリスだとかドイツだとかフランスだとか比べても,持っている問題はみんな同じになっちゃった時代だと言える。そうなったときにネイションという枠組みはいったいどうなっているかということが問題なんです。

ネイション成立の経済的根拠

 かつて,ネイションが出来上がるときまでは,つまり廃藩置県までは,藩は独立主権国家です。一部の主権は制限されていますけど,交戦権は制限されている。みだりに戦争を始めてはいけない。しかし,交戦権を制限されている以外は,ほとんど制限がない。おのおのが主権国家です。そういうものが何でネイションになっちゃったのか。これは,一番大きいのは全国的な経済的ネットワークが出来ちゃって,藩ごとの境なんてかえって厄介千万なものになっちゃった。徳川時代は舟運が非常に盛んですね。なんとか領,かんとか領通るたびに川の関所があるわけですよ。通行税とられる。「そんなものはない方がいい」って話になるでしょう。そういう全国的なネットワークが広く広がる。そのことによって藩の境が無意味になってくる。

ネイションの枠組みは小さすぎる

 「現代とはどういう時代か」というと「ネイションの成立以後,世界はネイションを軸にしてまわってきたんだけれども,今やネイションという枠組みが狭くなりすぎた。そういう時代が世界史的現代です。これからネイションという国境がだんだんだんだんメルトダウンしていく。」その一つの始まりがEUだし,ある種のグローバリゼイションだったりする。国家の主権というのはけんかでも何でも出来るのが国家の主権だと言うけれども,今では自ら国家の主権を一部放棄していますね。たとえば,1928年に成立したパリ不戦条約,ここでは「国際紛争解決のため,および国策遂行の手段としての戦争を放棄すること」を条約で決めて,条約参加国は自発的に自国の主権の一部を制限した。日本もこの条約に加わっています。現在日本は交戦権を放棄していますね。
 これ,日本が植民地になったからそうなったんではないですよ。主権に従って主権の一部を自ら制限してるんです。そこがわからないと,声高な「押しつけ憲法」論になっちゃうんです。そこがわかんない人が大部分なんです。

『牧衷連続講座記録集Ⅵ』より抜粋