新しい対立軸 ── 自由と平等

牧衷さんの講演の一部を紹介します。

労資対立の軸がゆるむ

 その判断の基準になるのは,今の世の中で本当に基本的な軸になってまわっている,それはどういう軸だろうかということです。かつてはそれは労働と資本という軸だった。ですから,総評議長にはどんなぼんくらがなったって社会的影響力があったんです。同時に日経連の会長にはどんなぼんくらがなっても社会的影響力があった。それはそういう軸で社会が動いていたからです。
 ところが1960年代通じてその軸がゆるんで来ちゃった。この軸では処理できない問題が出てきてしまった。公害って話です。公害って話になると労資一体なんだよね。これうっかりやると自分の首締めちゃうからね。自分の会社が公害出しているって一番よく知っているのはそこで働いているやつなんだから,そこが告発するのが一番いいんだけれども,自分の工場つぶれたら自分が路頭に迷うわけでしょう。

新しい対立軸 ── 自由と平等

 公害は労資というのとは違った軸でまわる問題だよね。世の中がこの労働と資本の軸ではまわらないものが軸になっちゃってまわり始める。それが1960年代の終わり頃に来る。
 それだのに依然として資本と労働を軸として教育労働運動やるからおかしくなるんですよ。もう軸は変わっちゃっているんだから。教育の問題なんかでいえば,ほとんど1960年代,ほとんど同じように変わっているんですよ。そのころから教育内容が問題になったりいろいろし始めるでしょう。それと同時に労働条件なんかじゃけんかしなくてもよくなっちゃったんですよ。給料1000円上げるためにストライキするなんてばかばかしくて出来なくなっちゃったんですよ。それよりもっと大事な関心事がみんなに出て来ちゃった。
 そうなったらそっちに関心を,軸を移さなければいけないですね。それはとっても大事なことなんだけれど,それをやるのには,どういうことを軸にまわるようになったのかということを十分考えないと,わけがわかんないことになりますね。何が軸になるのか。一つは「効率か公正か」という軸ですね。「産業か福祉か」という対立です。
 イギリスは対抗軸がはっきりしているね。「反福祉と福祉」でしょう。日本はそういう対抗軸がはっきり出来なかったですね。労資の問題でやろうとするからいけないですね。「効率か公正か」,これとほとんど同じ意味合いを持つのが「自由か平等か」です。

平等主義には無理がある

 フランス革命のスローガンのおかげで「自由」と「平等」は矛盾しないものだとたいていの人は思っているけどそうじゃないですね。フランス革命が始まったときにはスローガンは二つしかないですね。「自由」と「平等」です。そして革命派内で常に自由派と平等派が革命やりながらけんかするんです。血で血を洗うことをさんざんやって,第三共和政が出来るときに「友愛」がくっつくんです。この「自由」と「平等」の二つのけんかじゃあどうにもならないから。お互いに寛容になって「友愛」で行きましょう。この3つが一緒になって第三共和政出来るんです。自由と平等というのは常に対立するんですね。
 平等というのは不自由なものですよ。現実は平等に出来ていないんだものね。それを無理矢理平等にしようとすれば,一番下の水準に合わせるしかなくなる。これじゃあ,どうにもならないですね。
 教員組合が間違っちゃったのは,そこで軸足を一方的に平等の方においちゃったとこですよ。向こうが「個性を伸ばして」って言うんでしょう。こっちが「平等」っていう。一方的に平等を主張するととんでもない画一主義,全体主義になる。これは勝てない。平等平等っていって授業やったら一番遅れているところに合わせるしかないんだもの。そうでなかったら落ちこぼれるからね。自由で行けば落ちこぼれるのも自由なんだから,「勝手にせい」なんだよ。あそこで変なヒューマニズム発揮しちゃったのが間違いのもとなんだよね。「これまでの平等主義は間違いのもとである」としてあのとき教員組合が方針転換していたら,勝ったね。
『牧衷連続講座記録集Ⅵ』より抜粋