明治維新の課題は国民国家の成立

牧衷さんの講演の一部を紹介します。
明治維新のときに日本に市民革命による共和国を作り上げるという選択肢が歴史的にあり得たか。それはあり得ない。工業化もできていなければ,nationも出来ていない。江戸時代には俳句や川柳,お茶,蘭学研究なんて,ゲゼルシャフト的結びつきの文化が育っていたけど,まだ弱くてとてもじゃないけど,古典的国民国家のタテ統合原理のドテッ腹に喰いこんでくの字に曲げてやる力なんかありません。そういうところで市民革命が出来るわけがない。
 だからあの時にできたのは,
天皇をかついで廃藩置県をやるか。
天皇をかついで諸藩連合マグナ・カルタ体制にするか。
③幕府による全国制圧で廃藩置県をやるか。
この3つの選択肢しかない。
 あの時の日本のやらなければならない国家的責務は何かというと,nation国民国家を作ることだった。藩という枠組みを取っ払わなければならなかった。その藩という枠を取っ払うにはマグナ・カルタ体制ではダメですね。幕府が中心になってやると大変です。幕府が全国転戦して全部つぶしていかなければならない。天皇の方だと,幕府が「やめた」って投げ出せば出来る。一番被害が少ないやり方で日本は国民国家を建設することに成功したんですね。
 だからあそこで天皇制が出来上がるのは歴史的必然です。シャッポがなかったら日本は一つにまとまれないんだから。シャッポになれるのは二つしかなかった。幕府か天皇か。幕府じゃダメだね。天皇しかないんです。
 国民国家というのは一つにまとまろうとする象徴的中心がいるんです。その象徴的中心が何になるかって言えば,慶応年間などでは天皇しかいない。明治天皇制が成立するのは支配階級の悪巧みのせいではない。あれがなかったら日本には国民国家は成立しなかった。山内(やまのうち)容堂とか島津久光明治維新が出来ると烈火の如く怒るわけだ。彼はマグナ・カルタ体制,殿様連合をつくって,そのシャッポに天皇を掲げて,殿様連合政府で日本を統治しようとした。
 それが殿様連合でなくなっちゃった。なくしたのは由利公正だって話がある。五ヵ条のご誓文の中に「広く会議を興し,」とあるのははじめは「諸侯会議を興し」だったんです。
 その原文を見て由利公正が書き直したんです。これは民主主義体制じゃないよね。「広く」というのは「おれたちも入れろ」という意味です。「おれたちより下の奴」は入っていない。「おれたち」が入っていればいいんだ。由利公正大久保利通とか,西郷隆盛なんかは「諸侯会議を」だったら入らない。陪臣なんだから。広くったって中間(ちゅうげん)・足軽は入っていない。民主主義ではない。
 あの時全国民に選挙権与えて選挙やったらどうなったか。国民国家は出来ませんよ。全部,藩ごとに分立しちゃう。お国自慢のあれになっちゃう。