実験の結果についての問いだけが意味を持つ

ディラック著『量子力学』(岩波書店6~7ページ)からの引用
 「一定の条件の下に置かれた特定の光子にどういうことが起こるかという問いは、実はあまりはっきりしたものではない。正確な問いにしようと思えば、この問いに関係したある実験がおこなわれたと想像して、その実験の結果がどうなるかということを尋ねなければならない。実験の結果についての問いだけが実際に意味を持っており、理論物理学で考える必要があるものもこのような問いだけである。」
このディラックの主張を教育の研究に適用したらどうなるだろうか。
 「生徒の学力を向上させる授業はどのようにしたらいいか」という問いは、実はあまりはっきりしたものではない。
 「不登校の生徒を減らすにはどのようにしたらいいか」という問いは実はあまりはっきりしたものではない。
ということになる。
 ではどうしたらいいか。
 「生徒がこのテスト問題で平均点70点以上取るようになるにはどういう授業をしたらいいか」「不登校の生徒の出現率が全国平均以下になるようにするにはどうしたらいいか」という問いにすると実験結果を問うことができる。

 実は、仮説実験授業の理論においては、授業書作成研究の目標を「授業をしたらどうなるか」について実験方法も含めて具体的にしている。
その目標というのは
①子どもの9割以上がわかる。
 具体的には(すなわち「テストをする」という実験をしたら)テストの平均点が9割以上になる。
過半数の子どもがこの授業を歓迎する。
 具体的には、アンケートで授業の評価を子どもにつけてもらった場合(すなわち、アンケートを実施するという実験をすれば)過半数の子どもがこの授業をもっとやりたいと回答する。
③教師自身がこの授業を楽しいと感じ、さらにやりたいと思う。
 具体的には、出世の役に立たず、旅費も参加費も自前で仮説実験授業研究会の大会をやっても参加者がいて、それが増加する。
の3つである。
 このような目標設定はディラック理論物理学の理論のあり方の主張と同じく、実験的に確かめることができる。仮説実験授業では成果を挙げたかどうかの判定方法(すなわち実験方法)を初めからはっきりさせて、その主張が正しいかどうかを主張者以外の人も確認できるようにしている。仮説実験授業が成果を挙げているのはこのような問題設定をしているからである。
 他の多くの教育研究ではこのようなシャープな目標設定をしないため、成果がなかなか上がらない。というより、どうなれば成果が上がったといえるかはっきりしない問題設定であるため、成果が上がったかどうか判定できない。

『牧衷連続講座記録集Ⅱ』上田仮説出版に所収(一部加筆訂正)

 12月5日(土)に信州大学理学部で理科実験講座の講義をやります。そのときに、この話もする予定です。