コペンハーゲン精神

コペンハーゲン精神についての資料を読み、すっかりハイテンションになってしまいました。20世紀はじめの頃、デンマークコペンハーゲンに研究所が設立されました。所長は当時の世界の物理学をリードしていたボーア。この研究所に世界中から若き物理学者たちが集まり、日々討議研究し、量子力学を建設していったのです。
朝永振一郎教授は当時のことを「本当の量子力学がつくられる以前には、ボーアの対応原理で答を出すことをやっていたわけですが、答を出すのに必ずしも論理的な必然性だけを追うのではなくて、途中でひょいと手品みたいなことをやらなければならない。この手品をうまく使うための方法は当時理論として formulate されてはいないわけです。ところがコペンハーゲンにいくとそれがうまくゆく(笑)。」
と言っています。ボーアの原子模型の理論は、当時の物理学の理論から論理的に導き出される理論ではなく、古典物理学の手法と、アインシュタインの光量子仮説と、分光学の成果と、プランクの量子仮説を結びつけた、論理的に一貫しない理論でした。物理を学習している生徒が確かな物理理論を適用して演習問題を解くというときの頭の働かせ方とは全然違う考え方です。ボーアの研究所ではこれまでの理論の適用では解けない物理学の難問を解こうとしていました。そのとき必要な考え方は自由な発想でした。「電子軌道」という考え方を否定するところまで進んだとき、どうしてそんな考え方ができたのでしょうか。「電子軌道という考え方が既成の考え方で、その考え方が成立するための条件を検討し直すべきだ。」などという発想がどうしてできたのでしょうか。それがコペンハーゲン研究所に行くと手品のようにできてしまうと言うのです。
 仮説実験授業研究会では仮説実験授業の理論を作り上げるだけでなく、学校や社会で起こる問題のこれまでの考えでは思いつきもしないような解決法を発見してきました。たとえば、国立教育研究所で学校におけるいじめの問題を集中的に検討研究討議しようとしたとき、だれも解決の糸口すら見出すことができないでいたときに、板倉聖宣さんと小原茂巳さんがだれも思いつかないような解説策を示したのです。これを傍から見れば「手品のように解く」と思われるかも知れません。世の中ではまだまだ、電子軌道の存在を疑いもしない人たちが大多数です。我々の考えが世の中になかなか受け入れられないのも当然だと考えなければいけないのでしょう。
 ディラックやパウリといったコペンハーゲン研究所に集まった物理学者が量子力学相対性理論の教科書を書きました。これは理論を進める上でも「教科書を書く」という仕事が大切だったのです。そういう仕事に相当する仕事がこれからの課題であるということに改めて気がつきました。私の仕事は『物理教育学』の教科書の執筆かなと思い始めているところです。物理教育についてのさまざまな断片的な研究成果は散見できますが、まとまったものはありません。
 あらためて、コペンハーゲン精神について考えてみると、Uサークルで起きている様々な現象はコペンハーゲン研究所で起きていた現象とよく似ています。その点もよく研究してみたいと思っています。