創造性を育てる教育1

2003年2月に執筆した文章です。
趣旨 創造性を育てるには模倣の重要性をよく認識しなければならない。

創造性を育てる教育を考える

はじめに

 現在の教育の危機と言われているものは、社会の危機、学問の危機の一部である。現在の社会が目指している方向や現在の学問の姿が確かなものであるとすれば、そして、教育の任務がそれをいかに生徒に教えるかということであるとすれば、それはそれほど難しいことではない。しかし、現在のところ社会の目指している方向は地球環境の限界がはっきりしてきているにもかかわらず、産業主義から抜け出せずにおり、きたるべき時代のライフスタイルを提唱するに至っていない。学問もその大部分は正しいかどうか疑わしかったり、個々の人間にとっての意味が不明確だったり、社会の課題に答えるものになっていなかったりしている。現代の教育の危機は教育改革について語っている人たちの思惑をはるかに越えたもっと大きな危機なのである。
 この危機にどう対処するかを考えると、個別的具体的課題を解決するだけでなく、そうした課題の根底にある問題の解決をしていく必要がある。解決が求められている基本的問題のうちから全体への波及効果が大きくて、しかも現実に可能な問題から取り組んでいくべきであると思う。このような方法をstructural reformsといい、「構造改革」と訳されているが、筆者はこれを「構造改良」と訳した方がいいと思っている。
 教育の構造改良のために、解決されるべき課題を思いつくままに列挙してみよう。
○「公教育」というときの「公」は英語で言うとpublicかcommonか
 現在public(お上の)教育からcommon(みんなの)教育への転換が起きている。
○「権利」「人権」などの翻訳語ともとの意味の違い
「人権という言葉があるから生徒指導が出来ない」という意見をどう考えるか。
○労資対立を軸としてまわっていた時代から自由と平等を対立軸とする時代へ
○教育における自由と平等をどう両立するか
 平等原則でがんじがらめになっている現状と、単なる自由競争による教育の不毛さををいかに克服するか。
○公共心の欠如
 プライベートなことに立ち入らず、みんなの問題はみんなで解決という共同体の構築はどうすれば可能か。
○教育の供給過剰をどう解決するか 供給を減らすか、供給の質を上げるか
現在の教育をそのまま続けるのは明らかに供給過剰。では供給を減らせば教育はよくなるか。生徒たちの学ぶ意欲(需要)は教育の仕方によっては増えるのか。
○現在の教育界の常識がいかにして成立したか。
○社会が生産者本位から消費者本位に移行した。学校は消費者本位に切り替えられるか。
○社会の常識と学校の常識がかけ離れてしまったことをどう修復するか。
企業内の常識が社会の常識と合わない場合、雪印日本ハムで起きたようなことが起こる。社会は社会の常識に反する企業を認めず、内部告発する者を保護する方向にいる。企業も社会のルールに合わない企業内の常識を改める方向に動きだしている。社会の常識と適合しない現在の学校の常識をいかにして改めるか。
○創造性を育てる教育
社会が求めている創造性ある人間をどう育てるか。

 これら一つ一つが解決されると、教育問題についてのこれまでの常識的解決策と大幅に異なる解決策が展望されてくるように思う。これらの課題を解決する研究が広がることを期待して小論を発表することにする。今回はまず「創造性を育てる教育」を取り上げて論じることにする。

本文

 創造性を育てる教育の必要性が叫ばれている。それはそのとおりとしても、どうすれば創造性を育てることができるかについては、意見の一致を見ていないようだ。それどころか、創造性とは何かを知らず、また創造的に考えたことも行動したこともない人が「創造性が大切だ」と言っている現状を見ると、滑稽ですらある。しかし、そのような人の意見で教育政策が決められてしまうことがあるとすれば、これはゆゆしき問題である。そこで、問題をはっきりさせ、解決策を探るために、いかなる人が創造的であったかについて歴史上の人物を検討してみることにする。

蘭学事始』の翻訳の仕事は模倣か創造か

 日本で最初の近代科学は杉田玄白たちによる、オランダの解剖学書『ターヘル・アナトミア』の翻訳から始まったということになっている。『蘭学事始』を読むと、初めて近代科学を日本に移入するための苦労がどれほどのものであったか驚かされ、また感動させられる。しかし、『蘭学事始』を読むと次のような疑問を持たざるを得ない。
 杉田玄白前野良沢はオランダの解剖図と中国の解剖図を比べ、どちらが正しいのかを調べるために腑分けに立ち会い、オランダの解剖図の方が正確であることを確認した。それから彼らはどうしただろうか。「本に書いてあることをそのまま信用するのではなく、自分で実験したり観察したりしたことをもとに考えるのが科学的である」という考えがある。そういう考え方からすると、彼らに必要だったことはオランダの本を読むことではなく、解剖を実際にやって日本における解剖学の基礎を築くことだったのではないかとも思えてくる。
 しかし、彼らは解剖をしなかった。彼らはオランダ語を勉強してその『ターヘル・アナトミア』を翻訳した。これはどうしたことなのだろう。杉田玄白たちは、実際に自分たちで解剖することによって中国の医学書の解剖図を否定し、正しい日本の解剖学を確立させる努力をすべきだったのではないだろうか。その方が科学的態度と言えるのではないだろうか。杉田玄白たちはオランダの解剖学書を翻訳しただけであって、科学的でも創造的でもなかったと考える人がいてもおかしくないのではないか。

実験・観察は科学的認識を作りだすか

 この疑問は実は科学というものについての誤解にもとづいているのである。多くの人たちは、実験したり観察したりすれば科学上の真理に到達できると考えている。しかし、科学というものは、実験や観察をしても、たいていの場合は理解することができないものなのである。解剖学というのは科学の中でも特に理解しやすい分野である。しかし、その解剖学でも杉田玄白らが自分たちで実際に解剖をして日本の解剖学の基礎を築こうとしたら、一生かかっても『ターヘル・アナトミア』のレベルの百分の一のレベルまでも到達できなかったはずである。ヨーロッパで解剖学が築かれるのに要した時間と労力があって初めてその成果として『ターヘル・アナトミア』のような本が書かれたのである。(この本は解剖学としては入門書のレベルである)
 解剖学を初めて学ぶ人にとっては、自分で解剖するより本で学ぶ方が千倍も速いのである。杉田玄白たちは『蘭学事始』の翻訳によって当時の日本の大部分の医者たちと異なる常識を持つことが出来るようになった。なればこそ、彼らが日本でもっとも創造的な仕事をなしえたのである。彼らの翻訳という仕事は、もっとも創造的な仕事だったのである。
 日本でも落下運動は起き、落下運動の観察はいくらでもする機会があったはずであるが、ついに日本では自分たちの落下運動の観察や実験によって独自に落下の法則に到達することはできなかった。日本人はオランダ語で書かれた物理学書を学ぶことによって初めて落下の法則に到達することが出来たのである。科学は、自分で実験観察して真理に到達することは不可能なのである。