なぜ原子論を教えるか(続)

IH様
 前回の続報です。

1『科学と方法』所収の論文
 板倉聖宣著『科学と方法』季節社所収の論文「理科教育と力学史」は原子論的自然観を教える必要性が力説されています。ただし、この議論は力学に限った議論です。アリストテレス的自然観に対してガリレイによる近代力学のよって立つ自然観の重要性がかかれています。
『科学と方法』季節社170ページ「近代力学的原子論的立場をとることは、合理的な自然観をうるための前提条件であり、自然科学的な考え方を正しく理解するための基礎であるとわれわれは考えているのである・・・」

2『現代教育科学』所収の論文
また、『現代教育科学』通号86号、1965年3月号に掲載の板倉聖宣論文「科学教育の改造と仮説実験授業」でも、原子論的自然観の重要性が力説されています。実はこの論文は板倉聖宣著『科学の形成と論理』の巻末の文献リストに載っていません。国会図書館でようやく手に入れました。重要な論文ですが板倉聖宣さんは書いたことを忘れていたようです。この『現代教育科学』のこの号は新居信正さんが手刷りで自分で製本した資料をかつて売っていて、私の蔵書の中にあるのを国会図書館でコピーを手に入れてから気がつきました。古い論文ですが全然古くなっていない、むしろ論敵が多かった時代の迫力を感じる論文です。

3 信毎のコピー
 中村桂子さんは大変な不勉強の上でものを言っている。「理科」は法律用語で科学的認識を成立させないための教科です。環境問題を解決するのは「自然を愛する心情」ではなく科学的認識です。しかし残念ながらわれわれの努力が足りないために科学的認識はほとんどの国民に成立していないため、ほとんどの国民は環境問題を解決するには科学をきちんと身につけることが必要だとは考えていません。教育課程研究会に集まる先生方もその多くは科学をきちんと身につけることよりも自然を愛する心情の方が大切と考えていると思われます。
 しかしながら、私たちが教えた生徒たちは科学を身につけるすばらしさを知っており、もっと多くの人が科学のすばらしさを知ることで環境問題を含めた諸問題を解決策は自然を愛する心情でないことを知るでしょう。
 教育課程研究会では当然出てくるこの中村桂子さんのような考え方を想定して議論をたてた方がよいと思われます。
以上思いついたことを書きました。よろしくお願いします。

 『科学と方法』は見つかりましたが『仮説実験授業入門』明治図書、『未来の科学教育』国土社は見つかりませんでした。どこに行ってしまったのでしょう。
2007年8月28日
                                WN
P.S.このような手紙を書くこと自体が研究だなと実感しています。