科学史研究53号~56号

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 『科学史研究』53号には板倉聖宣さんの論文は出ていません。広重徹氏と辻哲夫氏の「板倉氏の主張するプライオリティーについて」という板倉聖宣さんが第51号の「古典力学電磁気学の成立過程の比較研究」という論文で「場の概念は・・・静電感応の考察を動電気現象にまで持ち込むことによって成立した」ということに対して板倉聖宣さんがプライオリティーを主張していることを批判する論文が掲載されています。板倉聖宣さん以前に広重氏たちがそのことを明らかにし既に論文で発表してあるという主張です。
 『科学史研究』第54号には板倉聖宣さんの「プライオリティーの問題について」という論文が掲載されています。広重氏たちの主張の一部を認め、第51号の論文の一部を訂正しています。しかしながら、この文章は板倉聖宣さんの転んでもただでは起きないという姿勢が示されていて、部分的には認めたものの、学界の大勢がオリジナリティーを問題にするところまでいっていないことを問題にしています。
 『科学史研究』第55号には板倉聖宣板倉玲子夫妻共著の「日本における初期の弾道研究──日本最初の放物線弾道──」という論文が掲載されています。これは季節社の『科学と社会』に所収されています。
 『科学史研究』第56号には板倉聖宣板倉玲子夫妻共著の「「改算記」の放物線弾道はいかにして得られたか──日本における初期の弾道研究(Ⅱ)」が掲載されています。また、板倉聖宣さんの「ホイヘンスの光の媒体伝播説は波動説ではない」という寄せ書きも掲載されています。「ホイヘンスは光の周期性に注目しなかった。媒体伝播説ではあるが、波動説ではない。むしろニュートンの方が光の周期性に注目している。ヤングはホイヘンスから光の媒体説を、ニュートンから光の周期性(波動性)を取り入れて結びつけ、光の媒体波動説を初めて提出したのである。」ということです。ヤングはニュートンに反対したのではなく、自分ではニュートンの忠実な後継者だと自負していたそうです。板倉聖宣さんの説明を聞くと納得します。