牧衷さんの講義の一部を紹介します。

牧衷講義『技術社会論』(法政大学工学部1997年6月19日)

第1回講義
 ともかく、こうして日本で製糸業が始まりました。そして1回、 こういうものが始まりますと、いろんな所に前後に波及効果が出 てまいります。どういうことかと申しますと、今まで生糸を手で とっていた時は、手で加減ができますから、繭なんかの大きさは バラバラでもかまわなかったんです。ところが、機械でとるとい うことになりますと、これは困る。繭の大きさが違うということは「それぞれの繭の繊維の長さが違う」ということです。4つ5
つの繭から繊維を合わせて糸にしているわけですから、その長さ が不ぞろいだと途切れることになる。そのつど機械を止めなくて はならない。ですから「繭をそろえる」という、江戸時代までの 在来の作業にはなかって工程が一つ増えます。選繭と言います。
 そうして同じランクの大きさの繭で糸をとるんです。ところが、そこでもいろんな大きさの繭がバラバラにあるんではかなわない。で、繭の大きさをそろえるという品種改良が行われます。大きくて粒もそろっている品種はどれかと。この近くにある東京農工大学ってのは、はじめはもっぱらそれをやったんです。ところが、そうやって人工的な品種にしますと、その幼虫が食べる桑の品種も管理しなくてはならなくなる。どういう品種にどうやって肥料をやるか、という桑栽培の技術体系もできあがってきて、それが日本中に広がっていきます。生糸を輸出するときの金融業というのもできあがってまいります。こうやって、日本の中に川の上流から下流までの流れのように、一つながりのシステムができあがってまいります。生糸産業が国家的産業として成立するわけです。