現代とはどういう時代か

牧衷さんの講演の紹介
全体は『牧衷連続講座記録集Ⅳ』上田仮説出版1500円に収録されています。

以下引用

現代とはどういう時代か

仮説実験授業研究会冬の大会

江ノ島大会

1988年1月5日
国民の生活こそが基本

たとえば,日本の官営八幡製鉄所というのは,もちろん始めは軍艦や大砲を作るために作った製鉄会社だったんです。始めはそのつもりだったんですが,八幡製鉄所が初めて経営として成り立っていくようになるためには,それを転換して,その時の民需に合う方向で生産するようになる。そして初めて八幡製鉄所は経営を成り立たせることができる。
そういうことを考えてまいりますと,何といっても基本にあるのは国民の生活なんだ。国民の必要なんだということが,これは何よりもまず歴史を見る時に根底にあるものとして認識をしておかなくてはならない。それを忘れるととんでもない間違いをわれわれは起こす。その国民の生活にどういうふうに影響を与えるかということを具体的に数量的に詰めていく方法があるわけです。そういうところからアプローチしていくと,これまで書いてあった歴史とは随分違った歴史像が見えてくるのではないかと思います。
質問

───家庭電器の普及率というのは,日本経済新聞なんかにも出ること   があるんですか?

 ときどき出るんですね。いつも観察していて何がどうなっているというような系統的な情報が出るわけではないのですが,ときどき,売れ行きに関係する情報がでます。こういう商品が全需要者に対して,ほとんど10%になったという情報が必ずでます。その頃から気をつけてご覧になっていただければよくわかると思います。

ソ連重工業重視のツケ

───ソ連の重工業重視のツケが今まわってきているというお話でした   が,具体的にはどんなつけが回ってきたのですか?

 これはソ連の場合には(僕はどうしても多少同情的になるんですが),軍事費に大きな出費が避けられません。その軍事品は生産には違いないんだけれども再生産に環流してきませんね。重工業をソ連が作ったというのも,日本の富国強兵ととってもよく似ちゃったんですね。鉄をいっぱい作っても,その頃のソ連にそんなに鉄が必要なのかというと,必要ないんですよ。当時のロシアは圧倒的に農産物を輸出して豊かな国だったんですね。その農村を疲弊させちゃってそれができなくなったのです。日本の生糸に当たるものがなくなっちゃうんです。その乏しいいお金をドンドン重工業につぎ込む。だから国民の生活はいつまでたってもよくならない。それでどういうことが起こったかというと,社会主義特有の恐慌が起こったのです。僕は社会主義のバーゲン恐慌と呼んでいます。本当は計画経済だから作ったものはみな売れるわけで,在庫なんてないのが建前なんですが,在庫が膨大になるのです。品質が悪いから誰も買わないのです。だから,モスクワの街を歩くとバーゲンの札がずらっと並んでいる。ところが誰も振り向かない。お金は持っている。だから品質のいいものがあると闇で非合法でもパーっと売れる。これは一種の恐慌です。そういう非常な無駄を行う。国民の必要としているものをきちんと供給していくことが,政府の勤めなんだということをきちんと考えて政策を立てていけば,おそらくブハーリンスターリンの論争というようなものもかなり様子が変わっていたでしょう。ただ,その時には国際的なマルクス経済学の水準がものすごく低かったといえばそれまでですが。

寄食社会主義ペレストロイカ

───鉄がすごく余っちゃったんですか。

 余っちゃうんです。あの国はすべてを数量ではかります。機械をどういうノルマで生産するかというと,「機械何トン作った」ということになるんです。そうすると,どれもこれも持ち運びもできないような巨大な旋盤ができたりするんです。そうすれば,1台作ったらノルマが出来ちゃう。人間やっぱり楽な方がいいから重いものを作るのです。その時に軽量化を図って,旋盤を作ろうなんて考える奴なんて誰もいません。ドンドン品質が悪くなります。実際に国内需要だといっても自発的国内需要じゃないもんだから,平気でそういうことをやるのです。だから机がものすごく重たい。ソ連製の家具はものすごく重たい。冗談じゃない。そういう国民的な無駄をずーっと続けてきたのです。その無駄が国家を食ってきたのです。タコがタコの足を食うのとおんなじです。まさに寄食社会主義です。寄ってたかって食っちゃう。それに今気がついて寄食社会主義を止めようということで,ペレストロイカといってるのです。
 実は最近,ソ連労働組合の代表が来た時に友人に頼まれて,代表を招いた席で何かをやれといわれまして,何でも聞いていいということでしたので,寄食社会主義の問題はどうなっているというようなことを言いましたら,それに懸命に取り組んでいるということでした。まあ,建前としてそう答えざる終えない状況もあるでしょうが,そういう認識はできている。
 ただこれはソ連の労働者一般にとっては辛いことなんです。今までは寄食社会主義ですから,働いても働かなくても同じにもらえたわけです。今度は「働け」といわれるわけです。じゃあ賃金が上がるかというと上げられない。経済状態は破産寸前ですからね。とすると,大変厳しいことになります。単純にはペレストロイカを実行して,競争原理を導入して,社会主義は能力に応じて働いて,能力に応じて分配するという原則をもう1回再確認しようということになりますけれど,国民にとっては今までの生活の方が安気だったなあということになります。