関良基氏の新著書評3

 奨励金が退耕還林面積に応じて一対一で支払われるという制度(日本の各種の補助金もほぼ同じような考え方で支払われている。)では、退耕還林は奨励金を受け取る金券のようなもので、いずれはうち切られる奨励金の将来を見越して、すぐ耕地に戻すことができるようにしているのである。まことに「上に政策あれば、下に対策あり」という命令経済を皮肉るジョークそのままの世界である。
 このような調査を通じて、著者らは、退耕還林を成功させるためには、「投入される資金は森が村民の生活資源となるような生活全般の変更をめざして、そのための生活全般のボトムアップに使用されるべきだ。」という結論に達し、その具体的な方策のいくつかに到達する。
 普通の学術論文、政策提言論文なら、ここで終わりである。しかし、著者らの本領はこのあとにある。著者らは、Ⅵまでの調査分析で得た処方を仮説として、その仮説を実証するべく実験を試みる。自然科学の論文なら当たり前の手続きだが、社会科学畑の論文でこの手続きを踏んでいるのは珍しい。
Ⅷは、この実験の記録。本書の白眉をなす章である。
 対象に選ばれたのは長江上流の貴州省、古勝村という人口約1800の村である。
 著者らは、在中国の三つの環境NGOの協力を得て、この村で著者らの構想に基づく「退耕還林」プロジェクトを「実験」する。NGOは村の退耕還林に資金を援助するのだが、資金提供の条件は次の4つである。
1.村民自身によるプロジェクトの維持管理が可能なこと。
2.費用便益計算が合理的であること。
3.資金を一部自己負担すること。
4.環境との関連を説明できること。
 この4条件をみたせば、直接的な植林を行わなくてもよい、というのである。この条件がⅥまでで得た著者らの構想の直接的な表現であることは明らかである。
 それだけでなく、その実施の方法にも著者らの構想が深くからんでいる。通常人口1800程度の村ならば、この行政単位をひとまとめにしてNGOとの契約を考えるだろう。しかし、著者らはそうはしない。村を日常的なつながりのある集落グループにわけて、その集落グループごとに計画案を出してもらうのである。(山間の村は数世帯、多くても数十世帯の小集落が点々と島のように存在するのは日本と同様である。)つま、全世帯参加の直接民主主義的協議と決定に具体的プランの策定を委ねるのだ。その結果、NGOスタッフの検討を経て承認されたものに資金が提供される。要するにこれは行政的な政策などというものではなく、退耕還林と結びついた村の生活向上運動であり、これを含めて著者らの政策提言があるのである。Ⅶはこの「運動」の記録である。
 ある種の読み手にとっては、この章は自己宣伝のサクセス・ストーリーのように見えるかも知れない。しかし実際に(この日本で)山の荒廃を憂え、その解決に努めている山地の人々やその人々とともに汗している行政当局者だったら、この「実験」の成功から多くのものを読み取ることができるに違いない。私などもこの章を読みながら、ふと、たとえば吉野川上流域の村々と四国電力の間で森林の維持管理を通じたCO2の排出権協定はできないかな、などと考えたり、かつて牛肉自由化を前にしてしきりに行われた中山間地における林間放牧の実験も森林再生と関連して見直すならば、意外におもしろいことが見つかるかもしれない、などと思ったりする。そういう想像力をかきたてるような何かがここにはある。著者らがその研究方法論をもって、日本の森林再生研究に乗り出してくれることを希うこと切である。
牧衷(評者は社会運動研究家。力石定一氏と共に政策提言誌『発想』を主宰)
この書評は牧衷氏の許可を得て掲載しました。