なぜ動物を背骨のあるなしで分類するのか

 このブログにかつて掲載した「ニュートン力学は世界をどう分類しているか」の付論として書いたものの、発表しなかった未完の論文です。この部分だけでも読んでもらう価値ありと判断して掲載します。
 こにに書かれている内容は千葉県の生物の先生だった延原肇さん、岩田宏好さんらがかつて、全国教研のレポートとして書いた本を読んでいてそれをヒントにして思いつきました。かつて熟読したその本は今、本棚を探しましたが見つかりません。記憶をたどる限り今日でも読まれるに値する本だと思います。
 わが家の書斎は本に埋もれて、必要な本が見つかりません。半年くらいかけて本の整理をしなければどうにもならない状態です。過去に書いた文も整理されないままになっています。このブログに再録するために過去の文を調べることが、文書整理に少しは役立っています。
 今日ほとんど知られなくなった過去の重要な論文や重要な本をこのブログで順次紹介していきたいと思います。既に過去のことに詳しい年齢に達したということですね。

以下論文

学問が成立すると世界の分類のしかたが変わる

付論 なぜ動物を背骨のあるなしで分類するのか。
 生物学では動物をまず大きく脊椎動物無脊椎動物に分けている。背骨があるかないかで分類しているのである。しかし、なぜ背骨があるかないかで分類するのだろうか。背骨があるかないかはそんなに重要なことなのだろうか。アリストテレスは血がある動物と、血がない動物に分類した。このような分類にしてはいけないわけがあるのだろうか。骨で分類するにしても、頭蓋骨があるかないか、あるいは、肋骨があるかないか、等で分類することは何か不都合があるのだろうか。
分類の仕方としては、お寿司屋さんに出てくる動物、出てこない動物という分類だって考えられるはずである。それではいけないのだろうか。食べられる動物と食べられない動物に分類したっていいはずである。その方が便利なのではないだろうか。
 「どんな分類が絶対的によい悪い」ということはない。お寿司屋さんにとっては自分の扱う動物と扱わない動物という分類に大きな意味がある。その中で特に生物学ではなぜ脊椎動物無脊椎動物に分類しているのだろうか。最初に分類した人が偶然そうしたので他の人はそれに追随しているだけなのだろうか。それともそう分類することには生物学的に何か意味があるのだろうか。その点をはっきりさせるために論じたいと思う。
単純に考えれば背骨があるかないかは、大した違いではないということもできる。しかし、生活している動物からすれば、背骨があるかどうかは大問題なのである。動物にとって運動能力が大きいか小さいかは大問題である。運動能力の大きい動物は生態学的に上位を占め運動能力の小さい動物をエサにすることが出来る。ところで、運動能力を大きく決めるのは骨格があるかないかである。骨格があれば非常にパワフルな運動をすることが出来る。骨格には外骨格(コンチュウなど)と内骨格(脊椎動物)がある。どちらも運動能力が大きいので地球上を制覇しているといえる。しかし、外骨格の動物は、殻にじゃまされて大きくなれない。大きくなるためには脱皮しなければならない。そのため、コンチュウなどは数は多いが、生態学的地位は低く、もっと大きい動物のエサとなっている。内骨格なら、いくらでも大きくなれる。そのため生態学的地位が高くなる。内骨格の動物とは、脊椎動物のことである。そこで地球を制覇しているのは、脊椎動物なのである。動物を脊椎動物無脊椎動物に分類するということは、動物を生態学的に、あるいは生活をもとに見ていく立場に立つと合理的である。
問題 貝の殻は骨格であるか。
答 骨格でない。
理由 貝の殻は保護器官であって、運動器官でない。
(未完 1999年12月11日)