科学とは真理のかたまりか

8年前に書いた覚書を掲載します。

        科学とは真理のかたまりか
                       2001年1月27日

 板倉聖宣さんは、「科学は真理のかたまりではない」といっている。これは仮説実験授業の基本思想の一つである。
 それと同様の記述をエンゲルスの『フォイエルバッハ論』の中に見いだした。板倉聖宣思想の重要なルーツである可能性が高い。

岩波文庫フォイエルバッハ論』 17P 1行目
 「哲学が認識すべきものとしての真理にしても、ヘーゲルにおいてはもはや、一度見いだされたら暗記しておきさえすればいいというような、できあがった教条的な命題の寄せ集めではなかった。真理は今や、認識の過程そのもののうちに、哲学のながい歴史的発展のうちにあった。そして哲学は認識のより低い段階から次第により高い段階へ登って行くが、いつかいわゆる絶対的真理を発見して、もはやそれ以上進めず、手をこまぬいて、得られた絶対的真理を驚きながめる以外に何もすることがないというような点に達することはないのである。そして哲学的認識の領域においてそうであるように、その他すべての認識の領域においても、また実践的活動の領域でも、そうである。」

 この「できあがった教条的な命題の寄せ集め」というのは、多くの人が科学に対して持っているイメージと合致している。だからなんのかんの言っても、いかに真理とされていることを能率よく受け入れること、真理のかたまりである科学の命題を覚えることが勉強だということになるのである。
 ヘーゲルの真理論をもとにすると、仮説実験授業の考え方が必然的に出てくるとは言えないだろうが、仮説実験授業の考え方の前提となっているのがヘーゲルの真理論であると予想される。
 この本に書かれている考え方は戦後のある時期、板倉聖宣さんたちが学生運動していたときには常識とも言える考え方だったと思われる。問題にぶつかったとき、このようにヘーゲル的に発想することはごく自然のことだったのではないか。
今後、もう少し時間をかけて調べていきたい。

未完