勝木渥著『物理学に基づく環境の基礎理論』の書評

 物理教育学会の機関誌『物理教育』に掲載してもらった書評です。書評としてだけでなく、物理教育論ともなっていると自負しています。勝木先生はこの書評に出て来る「この本を読む秘訣は数式を読まないことにある。」というところに注目して「至言だ。」と言ってくれました。改めて考えてみるとこの本に数式が出てくるわけは著者が物理学者であるために、日頃からの議論を進めるときの「くせ」で数式が出てきてしまったのではないかと思います。この本の主張を理解するためには数式を読む必要はまったくありません。物理関係者で自身で計算してみたいという人のためにある数式だと思えばよいでしょう。朝永振一郎著『物理学とは何だろうか』岩波新書 には「物理学科学生のための注」というのがついていて、その根拠が数式を用いて示されています。それと同じようなものと考えられます。
 この『物理学に基づく環境の基礎理論』は高千穂商科大学に赴任した勝木先生が、大学の講義案のノートを私にも送ってくれました。この内容をおもしろいと思った私は勝木先生の許可を得て、50部『環境の理論』として印刷しましたが、これはすぐ売り切れました。その後勝木先生から学生用のテキストとして400部上田仮説出版で発行してほしいという依頼があり、それに応えて大幅な増補版の『環境の理論』を400部出版しました。その後、プロの出版社である海鳴社から出版されることになった本です。読んで味わいの深い本です。

以下書評

物理教育関係者のための書評
『物理学に基づく環境の基礎理論───冷却・循環・エントロピー』                        勝木 渥 著
                   海鳴社 2400円+税

高校における物理教育の縮小、その結果としての大学教育における物理教育の縮小は物理教育関係者に危機感をもたらしている。物理学の必要性は以前より増していると思われるのに、物理教育は縮小を余儀なくされている。このことをどう考えたらいいのだろうか。
 物理教育が縮小されるのは、理科教育の教育行政の担当者が物理教育の必要性を理解していないためであると考える人もいるようだ。そう考えるところから出てくる方針は、「物理教育の重要性を行政当局に働きかける」というものになるであろう。しかし、その方針で、今日の物理教育の危機を克服できるかどうかは疑問である。
 これまでの制度の中で物理を学んだ生徒・学生が、物理を学びたがっているのに、教育行政のために学ぶことができなくなっているのなら、行政当局に働きかけることも意味があるだろう。しかし、生徒や学生から「物理を学びたいのに学べない」という声が挙がってくることはほとんどない。それどころか、当の高校や大学で物理学を学んだ生徒学生から「物理だけは学びたくない」という声が挙がってきているのが実状である。生徒・学生の多くは、物理学を学ぶことに意義を認めておらず、物理が大嫌いになっている。また物理学の知識を自分のぶつかった問題に適用して自分で考えて解くことが出来るとは夢にも思わない。ごく一部の実践を別にすると、これまでの物理教育は成果を挙げていない。高校生が物理を選択しなくなったのは、教育行政のせいではない。これまでの物理教育のあり方の必然的な結果なのである。物理教育の復権のために必要なことは、教育行政に要求をしていくことではなく、物理教育を学んだ生徒にとって学ぶ意義がわかり、自分で考える楽しさを知ることができるようなものに変えていくことなのである。
物理を初めて学ぶときに生徒が感ずることは、「なぜそんなことを問題にしなければならないのだろうか」という疑問である。多くの生徒は授業で取り上げられる問題が解くに値する問題であるかどうか疑問に思っている。「それが解けることにどういう意味があるのか」と思っている。そういう生徒は、問題を一生懸命解こうとすることはない。頭が働いてこないのだ。多くの教師は生徒がそんな問題意識を持っていることに気づかず、生徒がしっかり勉強しないのは、怠慢なためであると思っている。特に問題意識を持つこともなく、素直に勉強する生徒・学生もいることはいる。しかし、そのような生徒・学生は、先生の言ったことを覚えたにすぎないのであって、自分の頭で考えているわけではない。当然自分の頭を使って考える喜びも知らず、現実の問題を自分の頭で考えて解くことが出来るようにはならない。
 今日の物理教育の危機を克服するためには、生徒が自分の頭を使って問題解決することができる喜びを味わっていけるような授業をする以外にない。そのような授業を通じて生徒は、学ぶことの意義を把握することができる。
 仮説実験授業はそのような教育を実現してきた。仮説実験授業研究会以外にはそうした物理教育はないのだろうか。実は、この勝木渥氏の「エントロピーと物質循環をもとにした物理学概論」と「環境の理論」こそが、自分で考える喜びを味わい、学ぶ意義を把握できる物理講義(授業)なのである。
今日の高校生、大学生の多くが抱いている危機意識、それは環境問題である。環境について多くの考察がなされているが、それらを考えるときの前提となる知識とは何だろうか。勝木氏はそれを物質循環とエントロピーであるとしている。環境問題についての多くの議論がこの視点を持っていないために見当違いの方向に行きつつあることを氏は危惧しているのである。見当違いの方向に行かないようにするためには、多くの人に物理学に基づく環境の基礎理論を理解してもらう必要がある。環境の理論の基礎として物理を教える必要があるのである。環境の理論を学ぶことを通じて、生徒は物理学の理論のすばらしさと、それがいかにわれわれが直面している問題の解決に役立つか実感するに違いない。
 筆者自身のことを言えば、大学時代に熱力学に興味を持ちながらも、教科書で扱われている問題に興味が持てなかった。まして、自分が考えた問題、自分がぶつかった問題を解くために、今学んでいることが役に立つとはとても思えなかった。仮にだれか、役に立てることができる人がいるとしても、それが自分ということはありえないと思っていた。
 ところが、この本
『物理学に基づく環境の基礎理論───冷却・循環・エントロピー
を読むと、なぜか自分の頭が働きだしたのである。
 この本の中ではこれまで気づかなかった、しかし言われてみればその重要性とおもしろさがわかる問題がいくつも提起されている。(たとえば「なぜ生きていくために水が必要か。」「植物がせっかく根から吸った水を気孔から蒸散作用として捨てているのはなぜか」など)
 しかも、その問題を考えてみると、結構自分の持っている程度の物理学の知識で解けるのである。自分の頭で物理学の知識を使って問題を解くのは無理だろうと思っていたのがウソのようである。この本はそういう自分の頭が働き出すというおもしろさに満ちている。そして、頭が働きだした途端に、長年疑問に思っていたことに対する答が次々に見つかったというおまけまでついてきたのである。
 かつて、長野県の高校理科教員の研究会で、環境問題についての講演を企画し、著者に講演を依頼したことがあった。その企画のとき、ある生物の教員が、「エントロピーとかいって難しい話を聞かされるのはごめんだ」と発言した。この発言を伝え聞いた著者は「僕の話は生物学科の学生にすごく受けているんだ」と語った。当日の講演は大変好評であった。講演後に、「このことについてさらに勉強したいがどんな本があるのか」という質問が出された。そのとき、著書は「この考えは僕特有のもので、本はない」と答えていた。その著者の本がついに出版されたわけである。このことをともに喜びたいと思う。
 この本を手にした多くの人の感想は「難しそう」である。そして「エントロピーがわからないのでこの本は読めそうもない」と言う人が多いようだ。しかし、この直観的判断は当たっていない。この本は、信州大学理学部の2年生(物理学科だけでなく、化学科、地質学科、生物学科など、その後理学部は改組されて各学科の名称も変わったが)を対象として、著者が何年も前から取り組んできた、「エントロピーと物質循環をもとにした物理学概論」の講義ノートと、その後著者が高千穂商科大学で文科系の学生のために行った環境科学の集中講義の講義案がもとになっている。それから数年間かけて、著者は高千穂商科大学で、学生に環境の理論の授業をする中で学生の反応をとらえながらその講義案のエッセンシャルな部分をより鮮明にわかりやすく描くようにしようと練り上げたのがこの本である。
 文科系の学生を対象としたものなので、数式は出ているが、数式をとばして読んでもわかるようになっている。多くの読者にとって出てくる数式はあまり関心がないであろう。この本を読む秘訣は数式を読まないことにある。数式なしで読めば、書かれていることは大変わかりやすい。しかも読み進むにつれてその革命的とも言うべき内容に驚きを禁じ得ないであろう。これはまことに野心的な本と言うべきである。環境について考えようと言う人、物理教育のあり方を考えようという人には、是非この本を読んでいただきたいと思う。