定年退職に伴い教頭会を退任する際の挨拶の原稿です。実際はこの3倍以上話してしまいました。
以下 挨拶
教頭会退任挨拶
2010年1月22日
UH高校 教頭
[私の歩み]
○○高校定時制 組合が強い職場 仮説実験授業との出会い
△△高校 すぐれた組織者の手本 仮説実験授業模索期 生徒による授業評価
□□高校 問題行動多発の高校 校長「思ったとおりにやってください」
大衆運動としての生徒会指導 学年会の組織 仮説実験授業に習熟
進路指導主任 NT氏の進路講話
▽▽高校 仮説実験授業の威力 国際物理教育学会で発表
生活指導主任
◆◆高校◇◇分校 着任早々放火未遂事件 分校廃校の陳情 ストレス度
インターンシップの活用で就職できる学校に、その結果 退学者0
分校50周年記念式典 ビデオ作成
●●高校定時制 不登校生徒の指導、勤務時間問題 退学者0ならず
▲▲高校 「当たり前のことを当たり前にやる」ことの意義 工芸室方式
職員の協力体制 小論文指導 研究授業
▼▼高校 定年退職
[出発点]「どうすれば正しい判断ができるようになるか」
認識論の本『科学と方法』 天動説から地動説への論理構造
[仮説実験授業の認識論]
身近主義の否定 一般から特殊へ
科学的認識は予想をもった実験によってのみ成立する。科学は事実をもとにしていない。
[私の授業の特徴]
「だれでもわかっているはず」と思われていて、しかも最も基本的な概念・法則が実はほとんどの生徒も教員もわかっていないことを明らかにして、それがわかるようにする筋道を明らかにした。
[仮説実験授業を知ることでわかったこと]
人間は誰でも長いこと教育を受けている。そこで「教育とは何か」「どう教育すればいいか」については誰でも自分がわかっていると思っている。
しかし、考えてみよう。
「力とは何か」「力の働きは何か」誰でもわかっていると思っている。しかし、それは思い違いである。常識的な力についての考えを積み上げていけば力を理解することができるのであれば「力学」という学問は不要である。「橋を架ける」という仕事をするには力学の知識が不可欠である。力についての常識的見解をもっているけれども力学を理解していない人が橋を架けたらどうだろうか。その人が架けた橋は落ちてしまう。
落ちない橋を架けるには力学を学ぶ必要がある。患者を治療するには医学を学ぶ必要がある。日々の医学の進歩により以前なら死んでしまったはずの患者のいのちが助かるようになっている。教育にも同様のことがないのだろうか。教育の方法の進歩のために以前なら「できない」と思われていた生徒が賢くなってしまうということはないのだろうか。
それがあるのである。小原茂巳さんの授業記録「飛び出した土橋君」を読むと教育の仕方が変わると生徒がこんなにも変わるものかと驚くばかりである。小原さんはどんな授業をしたのだろうか。小原さんは仮説実験授業をやったのである。
現在ある教育学はガリレオ・ガリレイの近代科学成立以前の古代中世のアリストテレス的、スコラ哲学的理論でそれを学んでも生徒が賢くなることはない。肝心なのは小原さんなどの成功の事例から学ぶことであるが、学ぶ人は驚くほど少ない。
[基本的な観の確立] 4つの自然観
原子論的自然観 進化論的自然観 エネルギー変換の自然観 自然の階層性
[情勢分析について]
学問を作り変えなければ授業書はできない。
江戸時代の農民は何を食べていたか。実は主に米を食べていた。
事実に基づいて考えると間違えるという実例
少年犯罪は増えているか。いじめは増えているか。
長期統計という手法
ジャーナリズム関係者は教育の素人
今の教員が置かれている状態
[歴史に学ぶ]
歴史的に失敗していることが繰り返し提唱される
掲げられているスローガンがいつまでも実現しないのはスローガンがおかしい。
勉強すればわかることを不勉強のため見当違いのことをやっていることは避けたい。
[教員人生を振り返って]
仮説実験授業と出会ったため、すばらしい教員人生を送ることができた。世間がみな天動説を信じているところで、地動説を秘かに、またあるときに公然と主張し、火あぶりの刑に処せられることもなく、精神的に病んでしまうこともなくここまで来れたことに感謝したい。ここまでの人生は成功だったと思う。
[教員の研修について]
教育がよくなるために必要なことは教員の自由である。そのことにほとんどの人が気づいていない。現状は絶望的状況。授業の改善には200年から300年はかかるであろう。
幕末の志士は身近な人たちと連携するのではなく、全国に散在している同じ考えの人と連携した。私も全国に散在している同士との新たな結合を作り出すようにしたい。
今後、15年間は教育の研究に打ち込みたい。
2010年1月22日
UH高校 教頭
[私の歩み]
○○高校定時制 組合が強い職場 仮説実験授業との出会い
△△高校 すぐれた組織者の手本 仮説実験授業模索期 生徒による授業評価
□□高校 問題行動多発の高校 校長「思ったとおりにやってください」
大衆運動としての生徒会指導 学年会の組織 仮説実験授業に習熟
進路指導主任 NT氏の進路講話
▽▽高校 仮説実験授業の威力 国際物理教育学会で発表
生活指導主任
◆◆高校◇◇分校 着任早々放火未遂事件 分校廃校の陳情 ストレス度
インターンシップの活用で就職できる学校に、その結果 退学者0
分校50周年記念式典 ビデオ作成
●●高校定時制 不登校生徒の指導、勤務時間問題 退学者0ならず
▲▲高校 「当たり前のことを当たり前にやる」ことの意義 工芸室方式
職員の協力体制 小論文指導 研究授業
▼▼高校 定年退職
[出発点]「どうすれば正しい判断ができるようになるか」
認識論の本『科学と方法』 天動説から地動説への論理構造
[仮説実験授業の認識論]
身近主義の否定 一般から特殊へ
科学的認識は予想をもった実験によってのみ成立する。科学は事実をもとにしていない。
[私の授業の特徴]
「だれでもわかっているはず」と思われていて、しかも最も基本的な概念・法則が実はほとんどの生徒も教員もわかっていないことを明らかにして、それがわかるようにする筋道を明らかにした。
[仮説実験授業を知ることでわかったこと]
人間は誰でも長いこと教育を受けている。そこで「教育とは何か」「どう教育すればいいか」については誰でも自分がわかっていると思っている。
しかし、考えてみよう。
「力とは何か」「力の働きは何か」誰でもわかっていると思っている。しかし、それは思い違いである。常識的な力についての考えを積み上げていけば力を理解することができるのであれば「力学」という学問は不要である。「橋を架ける」という仕事をするには力学の知識が不可欠である。力についての常識的見解をもっているけれども力学を理解していない人が橋を架けたらどうだろうか。その人が架けた橋は落ちてしまう。
落ちない橋を架けるには力学を学ぶ必要がある。患者を治療するには医学を学ぶ必要がある。日々の医学の進歩により以前なら死んでしまったはずの患者のいのちが助かるようになっている。教育にも同様のことがないのだろうか。教育の方法の進歩のために以前なら「できない」と思われていた生徒が賢くなってしまうということはないのだろうか。
それがあるのである。小原茂巳さんの授業記録「飛び出した土橋君」を読むと教育の仕方が変わると生徒がこんなにも変わるものかと驚くばかりである。小原さんはどんな授業をしたのだろうか。小原さんは仮説実験授業をやったのである。
現在ある教育学はガリレオ・ガリレイの近代科学成立以前の古代中世のアリストテレス的、スコラ哲学的理論でそれを学んでも生徒が賢くなることはない。肝心なのは小原さんなどの成功の事例から学ぶことであるが、学ぶ人は驚くほど少ない。
[基本的な観の確立] 4つの自然観
原子論的自然観 進化論的自然観 エネルギー変換の自然観 自然の階層性
[情勢分析について]
学問を作り変えなければ授業書はできない。
江戸時代の農民は何を食べていたか。実は主に米を食べていた。
事実に基づいて考えると間違えるという実例
少年犯罪は増えているか。いじめは増えているか。
長期統計という手法
ジャーナリズム関係者は教育の素人
今の教員が置かれている状態
[歴史に学ぶ]
歴史的に失敗していることが繰り返し提唱される
掲げられているスローガンがいつまでも実現しないのはスローガンがおかしい。
勉強すればわかることを不勉強のため見当違いのことをやっていることは避けたい。
[教員人生を振り返って]
仮説実験授業と出会ったため、すばらしい教員人生を送ることができた。世間がみな天動説を信じているところで、地動説を秘かに、またあるときに公然と主張し、火あぶりの刑に処せられることもなく、精神的に病んでしまうこともなくここまで来れたことに感謝したい。ここまでの人生は成功だったと思う。
[教員の研修について]
教育がよくなるために必要なことは教員の自由である。そのことにほとんどの人が気づいていない。現状は絶望的状況。授業の改善には200年から300年はかかるであろう。
幕末の志士は身近な人たちと連携するのではなく、全国に散在している同じ考えの人と連携した。私も全国に散在している同士との新たな結合を作り出すようにしたい。
今後、15年間は教育の研究に打ち込みたい。
身を挺して実践するのでなく身を挺して研究すべきである。
どちらに転んでもしめた!
負けるが勝ち
真理の判定基準は実験である。
どちらに転んでもしめた!
負けるが勝ち
真理の判定基準は実験である。