沢柳政太郎

朝日新聞の長野県版に松本市立博物館で沢柳政太郎の企画展示をしているとの記事があり、問い合わせの上、行ってみました。学力かゆとりかの論争が明治時代にあり、沢柳政太郎はゆとり派として説明されていました。それまで多くの教科に分かれていたものを「国語」としてひとつにまとめることで時数を減らし、その分として唱歌と体操を教育課程に入れることができたとのことでした。なぜ時数を減らすことができたかについては説明がありませんでした。思うに、小野健司さんの著書『沢柳政太郎の生涯』にあるように、また板倉聖宣さんが指摘しているように、沢柳政太郎変体仮名を廃止したことが大きかったのでしょう。変体仮名を教えるのに費やした時間を唱歌や体操にまわすことができたということでしょう。これを学力、ゆとり論争としてとりあげるのはちょっと的外れのように思います。変体仮名を廃止すべきだという沢柳政太郎の主張は、「学力よりゆとり」という主張でなく、「変体仮名を書いたり読んだりできるという学力は不要だ」という主張です。変体仮名が廃止される前は小学校1年生の数に対して2年生の数が約半数になっていました。変体仮名が覚えられない子どもは当時は落第させられました。そのため実際には学校に来なくなり、小学校入学者数に比べてと卒業者数はほんの少ししかいなくなったのです。変体仮名廃止以後、就学率が急に高くなります。世界でも一番就学率の高い国になったのです。それは変体仮名の廃止によるものだと思います。もう一つ、沢柳政太郎の業績で特筆すべきは、実験的教育学の確立です。赤という漢字と青という漢字を同時に教えるのと、赤だけを教えて完全に覚えてから青という漢字をおしえるのとではどちらが子どもは漢字をよく覚えるかを実験により判定しています。こういう業績に触れなければ松本市の郷土の偉人の評価としては不十分ではないかと思います。
もっとも沢柳政太郎松本市出身とはいうものの、その後松本を離れて活躍したので、松本にはほとんど資料が残っていないということです。開智学校も見ようと思いましたが、4時半を過ぎて、入館できませんでした。松本城前の古本屋で三澤勝衛の『新地理教育論抄』を買いました。貴重な本です。700円でした。保科百助全集も2冊売っていました。これは持っていたので買いませんでした。
教員評価支援シートに研究の目標を書くことになっています。今年度は明治大正時代の教育史の研究をテーマとして書いて提出しました。沢柳政太郎の研究をもう少し深めたいと思っています。
イメージ 1