板倉聖宣さん23歳のときの論文

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 1953年11月発行の科学史研究第27号に板倉聖宣さんの「コペルニクスから何をを学ぶか」が掲載された。マッハ主義批判、非主体的研究方法の批判、機械的唯物論の批判、ルフェーブル(マルクス主義の思想家)の矛盾論の引用、アリストテレス批判、マルクスの引用、武谷三男の引用など、当時の状況がうかがわれる。
「国民のための科学──マッハ主義では闘えない。自然弁証法的観点に立った科学史の実践的研究と普及が重要」と結論づけている。研究と普及が同時に重視されているところに板倉聖宣さんの特徴がすでに見られる。板倉聖宣さんは当時大学院生。23歳だったと思われる。
コペルニクスはどのように偉かったのでしょうか。どのようにして地動説を発見することができたのでしょうか。」このように問題を提起している。この問題意識はガリレオ・ガリレイの研究のときも引き継がれ、その後の仮説実験授業につながっているように思います。
 板倉聖宣さんの若い頃の論文を順次画像とともに紹介していきたいと思います。