新・仮説実験授業の教育原理の会

山路敏英さん退職祝いの会での牧衷さんの祝辞を掲載します。争点をどこに置くかは「いかなる問題に取り組むべきか」という問題であり、よい問題の発見をすることが主要な課題であると思います。そんなことに気づかせてくれた講演でした。それでは牧衷さんの講演をどうぞ
以下 講演
管理職の上手な使い方を若い人に

       2008年12月27日
       横浜市 オフィスタワービル会議
        テープ起こし 上田仮説サークル 渡辺規夫
 山路さん、おめでとうございます。
 山路さんと私の付き合いは思ったより昔からだったのですが、年は20年くらい違うのです。でも、私は山路さんと話していてそういう年の差を感じないでいつでも同じ年齢の同じ仲間のような感覚で接してまいりました。
 これはひとつ非常に大切なことでありまして、是非とも山路さんがみなさんに伝えていってほしいなと思うことは、管理職の上手な使い方です。山路さんは非常に管理職を上手に使われます。私が知っている限り管理職の使い方が上手なのは山路さんと堀江晴美さんです。(笑い)山路さんは軋轢を起こすことなく自分のやりたいことを学校でできるように上手に管理職をまるめこむ術を心得ていらっしゃいます。そういうのは山路さんのなにか温和な性格も大きな要素になっているのかもしれませんが、山路さんの知恵だと思うんですね。
 こういう知恵はなかなか実は仮説実験授業研究会の中で探すのは難しいんですね。ですから、そういう意味ではあまりこの知恵を山路さんの性格的な側面と結びつけて考えるのではなく、その知恵をみんなに伝える仕事をしていってほしいと思います。
 学校で生活するときに同僚と折り合いをつけたり、管理職と折り合いをつけたりすることを馬鹿にされる方もいらっしゃるかも知れませんが、私は非常に大事なことだと思っています。それがちゃんと出来ないと自分の自由に出来ない。自分の自由を確保できない。それは非常にばかばかしいことでございまして、山路さんの仮説実験授業研究会の中でやることはたくさんある。そのことのためには頭の一つや二つは下げるなんてなんでもないというような度胸の座り方が必要になります。そういう度胸の据わり方はものすごく大切です。私はたまたま山路さんより20年先に生まれてきましたからそういう思いをたくさんしてきましたが、山路さんにはそのことを仮説実験授業研究会のみなさんに伝える仕事をしてもらいたいと思います。
 山路さんに伝えていってほしいことはたくさんあります。仮説実験授業の中にある実験、その装置の作り方、どうすればできるかの研究などはもっと仮説実験授業研究会のみなさんに伝えていってもらいたいと思います。山路さんは実験の名手なんです。山路さんの伝えられることってすごくたくさんあるんです。
 退職して義務的な勤めがなくなると本当に楽になる。これまでの何層倍も幸福になることは確実であると申し上げて、心からお祝い申し上げたいと思います。
[編集者より読者へ]
 牧衷さんの挨拶はいかがでしたか。
 何かというと対立したり腹を立てたりばかりやっていては、自分の本当にやりたいことをやる時間がなくなってしまいます。自分の自由を確保するために、つまらないことに腹を立てたりしないでいきたいと改めて思いました。腹を立てるのは自分の中に満ち足りないことがあるからだと言います。仮説実験授業に巡り会った人生を得た者が何かに不満を感じている暇があるでしょうか。そんなことを感じた挨拶でした。
 管理職や同僚と争ってばかりいる人は、人生における争点をどこに選ぶかを決定的に間違えているように思います。
 授業においてはつまらないことを問題として取り上げれば、つまらない授業にしかなりません。仮説実験授業で楽しい授業が実現しているのは、授業書でよい問題を取り上げているからです。「授業でどんな問題を取り上げるか」によって授業の質が規定されてしまうのです。よい授業をしようと思ったらよい問題を取り上げる必要があります。そのよい問題を見つけ出すことは簡単ではありません。子どもたちが偶然気がついた問題を取り上げて授業をするのは、大抵の場合うまく行きません。子どもたちがよい問題に気づくことは多くの場合期待できないことだからです。
 授業と同様に、仕事や人生においても、たまたま出会った問題を取り上げて人と争ったりしても仕事も人生も充実することは普通ありません。その争点は、たまたま子どもが取り上げたつまらない問題を授業で取り上げるのと同じく、取り組んでも有益なことはほとんど何も生み出さないことが普通だからです。管理職や同僚から文句を言われたからそれに怒って、それを争点として取り上げるのは分別を欠いていると言わざるを得ません。「何を争点として取り上げるか」によって、仕事や人生の質が規定されてしまうのです。ですから、たまたまぶつかった苦情や横槍はうまく受け流して、争点とするにふさわしい問題を探す方が賢明な選択だということになると思います。
 牧衷さんは憲法についての講演で「憲法の争点」ということを言いました。これは逆に言えば今日の多くの憲法論議が、争点としても仕方がないところで争っているという現状への批判になっているように思います。「何を争点とすべかか」は運動をしていこうという場合に、真っ先に考えなければならないことなのです。
[謝辞]
 牧衷さんの祝辞を聞いて、「取り上げるに値する問題の発見こそが、われわれの今後の大きな課題なのだ」というところに、改めて気づくことができました。気づかせてくれた牧衷さんに感謝を申し上げます。