牧衷さんの本

牧衷さんの講演の一部を紹介します。次の出版予定の本に入れる内容です。
 
国民が好戦的にならなければ戦争は起こせない
 ドイツは日本と同様、いろいろ言われた。やっぱりナチスと日本の場合と、こう言うと差し障りがあるかも知れないけれども、アメリカ占領軍には明らかな人種的偏見がありまして、「日本には民主主義を与えればいいや。ドイツのような先進国じゃないんだから。」というような考えがあったとしか思えないようなことがたくさんあります。アメリカ占領軍には、日本の軍国主義について、日本の民衆がそれを支持したから軍国主義になったという背景についての深い洞察があまりないんです。「国民は軍部にだまされた。」というより、「日本は後進国で圧倒的に官僚主導、お上主導の国だ。だからお上が戦争をやったんだ」と考えている。アメリカ占領軍は「国民が戦争をやったんだ。」とはあまり考えていない。日本人は日本人でこの戦争を自分でやったとは思いたくない。それは日本文化の内から秘めるところの無責任体制。自分のところに責任が帰ってくるなんて考えつかないんですよ。だから被害の話ばかり出る。それで国民自身は「だまされた」というけれど、だまされたんじゃないんですよ。国民自身が好戦的にならなければ、戦争なんか出来ないんですよ。近代戦なんかできるわけない。日本政府といえどもそうだったんですよ。
 軍隊を持ったからすぐ戦争が始まるかというとそんなことはない。すぐ戦争が始まるみたいに騒ぎ立てるのはよくないけれども、憲法の問題を憲法の条項の問題だけとして捉えないで、憲法が日本国民に命じていることはどういうことなのか。
新しい時代にふさわしい憲法
 これまた、無責任なんだよ。日本国民に命じていると思わないんだから。政府に命じていると思っているんだから。冗談じゃないよ。憲法は国民を縛るものなんです。「憲法は政府を縛るものだ」なんていう時代遅れの憲法観を持っていてはこれからはやっていけませんよ。そんな憲法観を持っていて運動すれば必ず負ける。「国民を縛るために憲法がある。」ということを明言しているのはイタリア憲法とドイツ憲法だけですが、イタリアとドイツがそうだっていうことは非常に象徴的なことで、民主主義の暴走を経験した国ということですね。そういう憲法観が出てきたのはやっぱり20世紀後半からです。それまでは民権と国権の対抗で考えて説明していた。でも、その考え方ではもう足りないだろうと考えているんです。
 改憲論者はそういう昔の理屈に乗っかって言っているからね。「今の憲法は国民の権利ばかり書いていて国民の義務を書いていない。」なんてね。冗談言うなと。これは全部国民の義務だ。あんたらの言うことは間違っている。これは政府だけ縛っていると思ったら大間違いだ。政府だけを縛っているという意識で政府をやっている奴には憲法を論じる資格がないと言ってやっつければいいんだよ。全然わかっていないんだと言って。そういうけんかをやっていかないと駄目ですね。