これからの高校教育のあり方を考える(紀要掲載原稿)1

 「高校物理教育と仮説実験授業」をこのブログで発表しましたが、その発表を高校教育研究会の紀要に掲載してもらいました。その掲載原稿を再録します。

以下掲載原稿

これからの高校教育のあり方を考える
   ──物理の授業に仮説実験授業を取り入れて

はじめに

 物理という教科は難しくて嫌いな科目の代表であるようだ。教育課程の自由化の中で物理を選択する生徒は急速に減って、物理の教員が余る事態になった。かつて物理が必修でしかたなしに物理を勉強していた生徒たちが、物理を選択しなくなったのである。大部分の高校生が物理の学習に意義を見いださず、物理は多くの生徒に最も嫌われている科目と言っても過言でない。
 多くの物理の教員は少しでも生徒が興味を持ってくれるようにいろいろな実験などの工夫を開発した。それは何冊もの本になって出版された。しかしそうした工夫も、物理嫌いの大きな流れをくい止めるものになっていない。
 生徒が物理を学ぶことに意義を見いだしてくれるようになるためには何が必要なのだろうか。仮説実験授業に取り組む中で日頃考えてきたことを書きたいと思う。

昔の生徒の学習の動機

 これまでの物理教育は「苦しくてもがんばる」というスタイルでなされてきた。そしてかつての大部分の生徒学生は、貧しさから脱出するために勉強するという姿勢を持っていたので、苦しくてもがんばって勉強した。それが今日の日本の経済の繁栄の技術的基礎をなしているといってよいであろう。

今日の高校生の意識

 今日の高校生はどうだろうか。かつての高校生にとって学習の動機となっていたものが果たして今日の高校生にとっても学習の動機となっているだろうか。
総理府は、1993年に世界各国の青年に「将来社会的に成功するために何が必要と思うか」を次の中から2つ回答してもらう調査を行った。
 1.身分・家柄
 2.個人の努力
 3.個人の才能
 4.学歴
 5.運やチャンス
 現在の日本の青年は、どう回答しただろうか。また、他国の青年はどう回答しただろうか。
 学歴が大切と考えた青年の割合が一番高かった国はアメリカで55.0%だった。日本では学歴が社会的成功に必要なものと考えている青年の割合はわずか11.5%であった。
 これは、学歴と社会的成功があまり関係ないことを意味しているのだろうか。それとも、青年たちが学歴による差別の現実を知らないことを意味しているのだろうか。
 大学卒の給料と中学卒の給料の格差はアメリカの場合約4倍であるのに対して日本では1.45倍で、日本では学歴による給与の大格差は小さい。日本の青年が学歴を大切と思っていないのは、社会の現実を反映しているのである。
では日本の青年は何が社会的成功に必要と思っているのだろうか。その資料によると
個人の努力  72.6%
個人の才能 50.0%
運やチャンス 50.0%
である。運やチャンスと思っている青年の割合が50%というのは調査した国の中では一番多い。これはいくつかの県内の高校でも調査したが、全国の傾向とほとんど違いがなかった。
 かつての高校生の学習への動機づけとなっていたことは、今日の高校生にとっては動機づけとなっていないのである。昔ながらの方法で物理教育をやろうとしても生徒がそっぽを向くのは当然である。

進路指導のあり方

どんな産業も、産業として成立してから発展期30年、高揚期30年、衰退期30年で90年経つと一つの産業の寿命が尽きると言われている。青年が「条件がいい」と考える産業は、その時代の高揚期にある産業である。30年後にはその産業は衰退産業になる。高校生にとっての30年後とは社会を背負って立つ頃である。その頃その仕事が衰退産業になるとすれば、いかに力量・能力があろうともその力量・能力を発揮することは出来ない。。
 日本でも、繊維、石炭、造船、鉄鋼、自動車とそれぞれ基幹産業が移り変わってきた。最も優秀な人材と考えられた人たちが、石炭業界に大量に就職した時期があった。しかしまもなく石炭は斜陽産業となり、その人たちのした仕事は炭坑の閉山の仕事であった。持てる能力を生かす場面はなかった。その時代に最も得と思われる分野に就職したことが、実際には得でも何でもなかったのである。他の当時の高揚期の産業についても同様であった。
 では今の生徒たちはどの分野に進出すれば得なのだろうか。それはわからないと言うほかない。どの分野がこれから発展するかについては30年くらい先の話になるとわからないと言うほかないからである。選んだ分野が衰退するか、発展するかはわからないとすれば、社会的成功は運によることも大きいと言うことになる。日本の青年たちが「運が大切」と思っているのは、あながち見当はずれでもないのである。しかし、運がまわってきたとき、その運を生かせるかどうかはその人の能力によるとも言える。運がまわって来たときにそれを生かせるだけの準備は常に必要なのである。今日の生徒の教育で教師が心しなければならないことがここにあると思う。
 何が得かわからなかったら、進路指導はどうあったらいいのだろうか。それは、「どうすれば得か」はわからないのだから、それよりも、「どうすれば自分は満足できるか」をもとに進路を考えるようにした方がいいということになる。
 教育内容方法も、自分自身満足できる人生を送るためのものにしていかなければならない。要するに楽しいから勉強するという方向に進んでいかなければならないのである。
 しかし、楽しいから勉強すると言うことがこれまでの教育の中にほとんどなかったため、スローガンとして「楽しい授業」などと掲げても、それで楽しい授業が出来るわけではない。それはこれから地道に研究していかなければならないことなのである。