科学は真理の塊か?――英語の教材の内容の理解のために――

 U高校の英語の教材に物理学の内容を扱ったものがあった。英語科の先生からその内容について解説してくれと頼まれて、急遽書いた文章です。

科学は真理の塊か?――英語の教材の内容の理解のために――

アインシュタイン 1879年~1955年
1905年 アインシュタイン特殊相対性理論を提唱
1915年 論文「水星の近日点の移動に対する一般相対性理論による説明」を発表。
1916年 アインシュタインが論文「一般相対性理論の基礎」を発表

相対性理論とは何か
 等速度運動している電車の中で石を落としたとする。石はどこに落ちるだろうか。これは、電車が静止している場合に落ちる場所と同じ場所に落ちる。すなわち、電車が静止しているか、等速度運動しているかによって、力学の法則が異なってしまうことはない。これをガリレオの相対性原理という。
 光の速度を調べることによって、等速度運動しているものと静止しているものを区別できないかと考え、巧妙な実験をして調べたのが、マイケルソンとその助手モーリーであった。彼らの予想に反して、ある恒星から来る光の速さは、地球がその恒星に向かって動く春と、その恒星から遠ざかって動く秋とで、違いが出なかった。アインシュタインはこの実験事実を「光速度不変の原理」として定式化し、等速度運動しているのか、静止しているのか区別する力学的及び電磁気学的(すなわち光学的)方法はないという仮定から特殊相対性理論を導いた。
 加速度運動している電車の中では加速度の向きと逆向きに力を受けたように感ずる。電車がだんだん速くなっていくときは電車の中の人は後ろ向きに引っ張られているように感ずる。アインシュタインは「この感じは重力と同等なものと考えられる」と仮定して一般相対性理論を導いた。一般相対性理論の出現によって宇宙論は大幅な修正を迫られた。
 一般相対性理論は1915年に提唱されたと考えられるが、アシモフは1916年を一般相対性理論提唱の年としている。

アシモフが挙げている例とは別の例で考えてみよう。

地動説の成立の歴史的分析
 プトレマイオスは地球の周りを太陽や月や星が回っていると考えた。この考えを天動説という。
 コペルニクスは太陽が止まっていて、地球は自転しながら太陽の周りを回っていると考えた。この考えを地動説という。
 ケプラーは火星の見かけの運動をくわしく研究して、コペルニクスの理論が観測事実ときちんとは合わないことを見いだした。火星はコペルニクスの理論で予想するとおりには動かないことを見つけたのである。
このとき、どちらの考えが筋が通っていると思いますか。
考え
 ア、コペルニクスの理論はまったく間違いということはない。間違いを直せばたぶんよくなる。
 イ、コペルニクスの理論はまったく間違いかもしれないから、はじめから作り直すべきだ。

地動説をもとにした予想は当たったか
これは相対的真理とただの誤仮説を区別する問題なので、すさまじい難問である。

 コペルニクスの理論が正しいとすると、「水星や金星火星や木星も地球と同じように月を持っていてもいい」と考えられます。
 ガリレオが望遠鏡で観察して、木星に4つの月があることを確認しました。
 また、地動説が正しければ「月や惑星にも地球と同じく山がある」と予想できます。
 ガリレオは望遠鏡で月に山や平らなところがあることを発見しました。
 コペルニクスの理論が正しいとすれば予想されたことは皆当たりました。ひどく間違った理論ならそれをもとにした予想が当たることはまぐれ当たりです。まぐれ当たりが何回も当たることは考えられないので、「ある理論をもとにした何種類もの予想が当たったら、その理論は正しいものに十分近い」としてよいのです。
 ケプラーコペルニクスの地動説を正しいものに十分近いとし、どこを直したらいいか考えたところ、火星は円に沿って回るのではなく、楕円に沿って回るとすれば、予想と実際の位置がきちんと合うことを発見したのです。

今日の科学は将来否定されるか
今日の科学の成し遂げた成果は、絶対的真理ではなく、コペルニクスの地動説と同様、理論と実際が合わないところもあるのである。しかしだからといって、それが「間違いだ」と言うことは、コペルニクスの地動説を間違いだということと同じである。コペルニクスの地動説はそれまでの天動説よりはずっと真理に近いのである。
 同様のことはほかにもいろいろある。ドルトンの原子論は今日の原子物理学の成果からすると少し違っていると言える。しかし、それを「間違い」と言うことは、もっと大きな間違いを冒すことになる。ドルトンは酸素が原子2個がくっついて分子になっているとは考えなかった。しかし、それはそれ以前の物質観からすると、はるかに真理に近かったのである。ドルトンの説は歴史の中に正しく位置づけなければならない。

 アインシュタインの説も将来はその限界も今以上に明らかになるであろう。しかし、だからと言って「アインシュタインの説が間違いだ」と言って捨て去ろうとするのは正しい態度ではない。それ以前の説よりは、ずっと真理に近いのである。

 坂田昌一という物理学者は陽子や中性子が、それよりもっと基本的な粒子がくっついて出来ていると考えて、坂田模型という理論を提唱した。この理論はその後発展して、クォークの理論となり、その提唱者はノーベル賞を受賞した。坂田昌一も受賞してもおかしくないだけの業績を上げていたが、彼は40歳代で死去したのでノーベル賞はもらえなかった。その坂田昌一が言っている。
「僕の複合模型にしても、その後に出した名古屋模型にしても、それから二中間子の時も僕はそうだけどね。その通りだと思って出したんなら何も模型なんて言わないですよ。だいたいそういう方向に、一つの解決の方法があるんじゃないかということを言ったまででねえ。」(『現代学問論』33~34ページ 湯川秀樹 坂田昌一 武谷三男共著 勁草書房
 要するに、「オレの理論はすごくいい理論だ。理論から導いた数字と実験結果の数字が100倍くらいしか違わない。」と言っているのと同じである。「エッ、100倍も違う理論がいい理論なの?」「これまでの理論は、実験値と理論値が100万倍くらい違っていたんだから、それに比べればずっといい理論なんだよ」
ということなのだ。

科学は真理の塊か
 科学は真理の塊ではない。真理を認識していく過程が科学である。
 「新しい理論に欠陥がある場合、その理論全部がだめと考えるか、今までよりは真理に近いとして、それを修正していくべきと考えるか」という問題は脚気の原因の研究においても現れた。その状況は『模倣の時代』上・下(板倉聖宣著 仮説社)という本に克明に描かれている。また、大陸移動説(プレートテクトニクス)が提唱されたときも同様な論争が起こった。いずれの場合も「科学とは真理の塊である」と考えた人たちは、画期的な理論の価値を正しくとらえ、歴史的に正しく位置づけることが出来なかった。
 過去においても現在でも、このような「科学は真理の塊である」と考える考え方は、絶えず再生産されているといって良いだろう。現在の日本の多くの教育の中で「科学とは真理の塊である」ととらえる人が大量に生み出されている。しかし、これからの日本で必要なのは、科学を「自分たちが作っていくもの」としてとらえることができる人なのである。そういう考えが普通になることによって、科学が大衆のものになるのである。  1996年5月30日執筆