物理学史研究5

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『物理学史研究5』は1959年10月に発刊されました。『物理学史研究4』の発刊の5ヶ月後です。この間に板倉聖宣さんは国立教育研究所に就職しています。集まったカンパは300円。発行は続けることが難しくなったのでしょうか。事務局を名古屋グループにバトンタッチしたいとしています。また、八木江里さんと同じ研究室という状態がなくなったので編集も研究も思うように進まなくなったと言っています。八木江里さんは板倉聖宣さんの妹分のような弟子筋のような人で、実は上田染谷丘高校の出身だと聞いています。当時上田染谷丘高校で教えていた人の話によると、将来はマリーキュリーのような物理学者を目指していた八木さんは高校の物理の授業に不満で校長に物理の教員をクビにするよう要求したそうです。はねつけられると県教委にまで出かけていってクビにするよう要求したということです。彼女はその後物理学者ではなく科学史家となり、東洋大学の教授になりました。板倉聖宣さんと共同研究、討論をたえずしていたらしいです。
この号には板倉聖宣さんの「落下法則への道──ガリレイ力学のなりたち2」という論文が載っています。エピクロス、ルクレチウス、カルダーノなどにも触れて、『ぼくらはガリレオ』の本の内容はここで既に明らかにされています。
板倉聖宣さんの先生筋の大矢真一さんは「日本科学史雑記帳1」で平賀源内の火浣布、佐久間象山地震計について書いています。また、科学史家の鎮目恭夫さんが北朝鮮を訪問した記録を書いています。かなり北朝鮮を賛美する内容になっています。矢島祐利さんがデカルトの『哲学の原理』について書いています。