エリートの民主主義

旧制高校での語学の授業

牧衷さんの講演の一部を紹介します。『牧衷連続講座記録集Ⅰ』に収録
以下講演
 すごく僕の印象に残っているのは,ドイツ語の授業で,字引に誤植があったんです。ほとんどの生徒がコンサイスの独和辞典を使っていたんです。そいつに誤植があった。そこでどうしても独文が和文にならない。おかしくなる。それでそこのところをたまたま当てられた奴が,その訳がしどろもどろになっちゃった。先生が「なんでこんなことになるのか」と聞くわけですね。
 それでその学生が「実は,ここのところは字引を引いたらこうなっていまして,どうにもこうにも正直のところわたし自身もわからないんだけれども,字引がこうなっているから,なんとかつじつまを合わせてこうしました」すると先生が「エッ!,字引が?見せてみろ」て言うんです。40何人みんな困ったわけですから,「そうだ,そうだ」って言うんです。そしたら先生が字引を見て,先生はなんて言ったか。
 それまでの僕の中学校までの経験だったら「あっ,字引が間違っていたんならしょうがないね。本当はこうです」と言って,「この単語は誤植です。正しい解釈はこうです」といってくれるだろうと思ったんです。 そうしたらその先生がね,その字引をポーンと机の上に放り投げて「アーッ情けない」っていうんですよ。「君たちはあの試験を受けてこの学校にはいった。それなのになんで君たちは自分の頭を信用できないんか。字引引いておかしければ,字引がおかしいのをおかしいままにしている奴は,自分の頭全然信用してないんだ。“おかしい”と思った自分の判断を信用して,なんで別の字引を見ないのか。別の字引を見れば,君はこんなばかばかしい間違いはしないですむじゃないか。アーッ情けない!」っていうんです。「これは俺は大変な学校へ入った」と思った。うれしかったけど。