理科教育史こぼれ話3

3 理科は「自然を教える教科(文部省)」か「自然科学を教える教科(科教協)」か
 明治19年,理科という教科が作られて以後文部省は一貫して「理科という教科は自然を教える教科である」と主張してきた。これは「理科は自然科学を教える教科ではない」という意味である。文部省のこの主張に対しては長いこと反対運動があった。戦後は科学教育研究協議会(科教協)という反体制的な研究団体が「理科は自然科学を教える教科である」というスローガンを掲げて,実践を積み上げていた。そして,その授業の方がはるかに成果が上がることが明らかになってきたとき,文部省は方針転換して,「理科は自然科学を教える教科である」と指導要領で主張するに至った。
── 科教協は喜んだでしょうね。「われわれの主張がやっと認められた。これからはますますこれまでやってきた方針でやって行くぞ」と。
── ところがそう言わなかったんです。はじめは,「文部省の言い方は不十分だ」と言っていたんだけれども,そのうちに「自然を豊かに教える」というスローガンを掲げるようになったんです。
── すると,以前の文部省の主張を科教協が掲げるようになったんですか。
── いや「文部省の以前の主張とわれわれの今の主張は違う」と言うんです。
── 「文部省にとにかく反対」ということなんですか。科教協はその後どうなったんですか。
── 当時4000人いた会員の半分が科教協を脱退して,2000人に減ってしまったんです。4000人も会員がいたということは文部省のやり方に批判的な意欲ある教員がたくさんいたということなんです。ところが,理科教育をよくするというのは口実でとにかく文部省に反対したいという人たちは,自分たちのスローガンを文部省が受け入れたということを勝利と思わなかったんです。闘争する口実がなくなって困ってしまったんです。
── それはひどいじゃないですか。子どもたちがいい理科教育を受けることより,「文部省がいけない」と言い張ることの方が大切だなんて。
── ところが科教協の幹部はみんな反文部省なんです。その中で「今度文部省がいいこと言っているので,これに乗ってますますいい理科教育を推進しよう」などと言うと,幹部の中では集中攻撃にあってしまうんです。
── 幹部の中で批判されても,それが日本の子どもたちにとっていいことならそんな批判はものともせず主張すべきだと思いますよ。
── そのとおりだけれども,これはなかなかキツイことでもあるんだ。野坂参三という人は日本共産党の幹部で100歳近くなってから除名されちゃった人だけれども,戦後中国から日本に帰ってきたときにまずやろうとしたことは,「天皇制がいいか共和制がいいかは国民が決めることであって,天皇制反対という運動はやらない」ということだったんです。ところがこれは当時の共産党の幹部の中ではとうてい受け入れられない考えで集中攻撃されて野坂さんは撤回しちゃうんだ。天皇制支持の人の中にも共産党の味方になりうる人たちがいくらでもいるから,それを敵にまわさないようにしなければいけないと主張していたんだけれどもそれを撤回しちゃうんです。イタリア共産党のトリアッティはイタリアが王制で行くべきか,共和制で行くべきかは国民が決めることであると主張し,党の幹部の中で猛烈な反発を浴びたんだ。しかし彼はひるまず,地方の党員一人一人と話し合い,ついに自分の方針をイタリア共産党の方針にすることに成功するんだ。これで,「王制に賛成だけれども,ファシズムには反対だ」という人を味方にすることができて,その後の大躍進の基礎を作ったんだ。その時トリアッティが自分の身近な幹部を敵にまわすことを恐れて,国民を敵にまわす方針に屈していたらその後のイタリア共産党の躍進はなかったと思うね。身近な10人の中には「王制を支持している人は必ずファシズム支持になる」なんて理屈を立てる人がいたりするから,それを反駁するのは大変なんだ。自分の近くの人10人を敵に回しても,その背後にいる1万人を味方にするというやり方が当時の科教協の幹部ができなかったんだよ。
── その後科教協はどうなりましたか。
── 2000人が次第に定年退職するに従い,あとに続く若い人が入ってこないんで,科教協の機関誌『理科教室』は売り上げが落ちて出版社がたちゆかなくなったんだ。そこで新たにその『理科教室』を発行するための出版社を作って発行し続けているけれども,なかなか苦しいようだね。なにより若い人が入ってこないことが大きいんだ。一挙にだめにならない。定期購読している人はなかなかやめないから続いているんだけど,転勤や退職を機に購読をやめるという形で少しずつ衰退していくという状態だね。「今の科教協の方針はおかしい」と思う人はどんどん抜けて行くから,幹部の中に反対意見が存在しなくなって方針転換ができないんだ。今の方針が正しいと思っている人ばかり残るからね。自分に賛成な人ばかり自分のまわりに集めて,自分たちが多数派だと自分に言い聞かせるようになってしまうんだ。理科教育をしっかりやりたいと思っている人はいくらでもいるんだから,そういう人に依拠するように研究を進めればまた盛り返す可能性もあると思うんだけれども……。「背後にいる1万人」に目がいかなければいけないんだ。
── どうすれば目がいくようになりますか。
── 多数派工作をして自分に賛成な人を自分のまわりに集めて自分を多数派だと言い張っている人は,選挙の結果に目を向けないんだ。選挙での多数派が正しいなんてことはない。だけど,大多数の人がどう考えているかは知ることができる。授業でアンケートをとるというのも選挙と同じだよ。大多数の生徒がこういう授業は嫌だと考えているとしたら,考え直さなければおかしいんだよ。みんなの意見を聞くという姿勢がないんだ。
実は「身近な10人を敵に回してもその背後にいる1万人を味方にする」という方針はガリレオ・ガリレイの方針なんだ。彼は学者仲間からはひどく攻撃されたけれども,背後にいる多数の大衆を味方につけたから屈しないで闘うことができたんだ。「これまでの理科教育は壮大な失敗の歴史だ」などと言えば,理科教育関係者の反発を受けることははっきりしているんだ。しかし,「よい理科教育をしている」と自己宣伝している先生も,その生徒に聞いてみると全然評価されていない場合も多いんだ。理科教育を受けた人の大部分は「これまでの理科教育は失敗であった」ということを支持してくれる。そういう人たちに支持されるような方針を出せれば,理科教育関係者から批判されてもやっていけるんだ。仮説実験授業では授業のあとに必ずアンケート調査をして,「授業を支持する生徒が大部分でなければこの授業を続けない」としているのは,だれを味方とすべきかという考えからすれば当然なんだよ。
 医者が「研修させようとするのは厚生労働省の悪巧みで,研修が少なくなるように運動しよう」などということをしたら,一部の(頽廃した)医者からは支持されるかも知れないけれども,国民からは支持されない。教員の初任研や十年研の研修日数を減らそうとする運動は国民から支持されない。「教員の社会的責任の重さから考えて,こんなわずかで内容の薄い研修で社会的責任が果たせるのか」という議論を立てれば,一部の教員から反発されるだろうけれども,国民には支持されるでしょう。全体のことを考えるという習慣がないから,どのくらい自分の考えが社会の常識からかけ離れているか自覚できないのだろうね。だから,情勢分析ということをせずに,何でも闘争課題にしなければいけないと思ってしまう。戦前の天皇制と違うのに戦後の天皇制をムキになって攻撃し,孤立してしまったようにね。肝心なことで争わず,どうでもいいことで争っているんだよ。
[結論]自分の近くの10人を敵にまわしてもその背後にいる大多数の子どもや国民を味方にしうるような方針を考えるべきである。