石橋をたたいて堂々と渡る

数年前に書いて未発表の原稿を掲載します。

石橋をたたいて堂々と渡る
                         渡辺規夫

 トーマス・クーンという科学史家がいた。彼は科学上の革命(たとえば天動説から地動説へ)において、天動説を信じている学者と地動説を信じている学者がまったく話が通じないことを見てパラダイムという考え方を提出した。「パラダイム」というのは「考え方の枠」といったほどの意味のことばで、天動説者の考え方の枠と地動説者の考え方の枠が違うので、いくら議論しても話が通じないというのである。彼はこの考えをいろいろな科学史上の論争に適用して非常に見事に説明することができた。そこでこの考え方は非常に普及し一世を風靡するようになった。今も何とかパラダイムという本がたくさん出されている。しかし、クーン自身は晩年にこの「パラダイム論」が間違いであると認めたのである。しかし、そのことを知らずいまだにパラダイム論をかつぎまわっている人もいる。不勉強と言うほかない。
科学史上の論争がなかなか決着がつかなかったことは事実である。ニュートンが『プリンキピア』を出版したことによってニュートン力学が最終的に勝利したかのごとく書いている本もあるが、実際はニュートンの主張が多くの学者に受け入れられるまでにだいたい四十年かかっている。これはニュートンの反対者が死ぬか沈黙することによって、反対者がいなくなったのであって、反対していた人たちがニュートンの考えが正しいことを認めたのではない。
 二十世紀初頭に物理学の革命が起こった。この量子論といわれる新しい理論に若い人は飛びついたが、老大家である物理学者の多くはこの新しい理論に反対した。しかし量子論は次々に成果を挙げ、その正しさは疑う余地のないものになった。量子論に反対していた老大家たちはどうしたのだろうか。自分が間違っていたと表明したのだろうか。いや、彼らは沈黙しただけなのである。
 かつては、「人生わずか五十年」だった。そのため考え方の大きな変革をせまられても考え方を変える前に自分の人生が終わってしまった。だから頑固に自分の考えに固執していることもできた。しかしこれからは人生八十年の時代である。一生のうちに「これだけは間違っているはずがない」と思っていたことを改めなければならない場面に何度も出会わないわけにはいかない時代なのである。考えを途中で変えるということができるようにならなければいけない時代になったのである。
 どの考えが正しいかをどうやって判定したらいいのだろうか。それを決めるのは実験である。「これは絶対に正しい」と思いこんでいる人は実験で決着をつけるということを考えない。
 自分の予想が間違っていたことがわかるというのは、一種の失敗である。しかしこれは小さな失敗である。実験の予想がはずれたからと言ってどうということもない。肝心なのは大きな失敗をしないことである。大きな失敗をしないようになるにはどうすればいいのだろうか。それは小さな失敗をたくさんやればいいのである。たくさん実験をやって予想がはずれるという経験をどんどんした方がいいのである。これが実験的精神である。現代は実験的精神を身につけなければいけない時代なのである。
 「石橋をたたいて渡る」ということわざがある。石橋は頑丈でそう簡単に壊れるとも思えない。それでも安全かどうかたたいてみるというのが実験精神である。しかしこの「石橋をたたいて渡る」ということわざは人生を渡って行くには少し消極的なように思われる。石橋をたたくような慎重な態度は必要だが、たたいてみて(実験してみて)安全とわかったら、堂々と渡りたいものだ。そこで今日の社会で生きていくにふさわしいスローガンは「石橋をたたいて堂々と渡る」とした方がよいと思う。そしてこれを新しいことわざとして普及させたいものである。