教師を信頼するのが先

牧衷さんの話を紹介します。
 教師をどれだけ信用できるかという話です。フィンランドの話を紹介すると「日本にはそういう条件がないからだめだ。フィンランドでは先生が社会的に信頼されているけど日本ではそうではないからだめだ。」という話がすぐ出てくる。
 先生というのは社会的尊敬を受けるべき存在だけれども実情はどうか。
 これは「ニワトリが先か卵が先か」の議論なんです。先生を信用する方が先なんです。まず先生を信用しろと。そうすれば3年か5年教育はがた落ちに落ちる。それはかまわない。それは予想の内。そこから伸びる。つまり5年くらいはメチャクチャなことになる。それでもいい。100年のために5年はしょうがない。教育ってそういうものだと思うんですね。教育は明日の結果を求めたら絶対うまく行かない。厳しい条件になっていくからある極端な教員不足になるということがあってどんどん落っこちるだろうと思うんです。落っこちても教師を信頼しろと。信用された人間は働くんですよ。そうなってくるまでには3年や5年はかかる。生徒は親にも先生にも信頼されていないから、できないんです。信頼されればできるようになります。

 2010年2月20日(土)にかすが荘で開かれた牧衷さんの会での講座が始まる前の牧衷さんの雑談です。教師を信頼し教師に任せればよくなると思います。しかし、そうなれば教師それぞれの責任になるので大変と言えば大変です。しかし、信頼されず責任がないのと信頼されて責任が生じて一生懸命やるのとではどちらがいいのでしょうか。信頼し教師に任せれば多くの教員は今以上の熱意を持って教育をするでしょうが、淘汰される教師も一部に出ることでしょう。自由裁量が大きくなって責任が重くなる方がずっといいと私は思います。