社会の改革とは

板倉聖宣さんの雑談の一部を紹介します。

社会の改革とは──仮説を立て,実験し,うまくいくという証明をすること

                  1992年5月4日ホテル三幸にて

【板倉】今まで時代が「社会主義か資本主義か」ということがあって,ある人たちからすると「社会主義にしなけりゃ話が始まらない。社会主義にすれば万々歳に決まっている。だから社会主義にすることが問題だ」という考え方があった。でも,「社会主義にすれば万々歳ではない」ということだけはわかっちゃったわけです。
社会主義にしちゃいけない」なんておれは思わないけどさ,「社会主義にしさえすればいい」なんてことはナンセンスだ。「社会主義にして何をするのか」あるいは「社会主義になる前に何をするのか」という問題でしょ。社会主義になる前でも出来ることはやって,「政策担当能力がある」という証明しなければならないでしょ。
たとえば出雲市長が改革路線出すわけだよ。「どうせ官僚というのは働かないに決まっている」という常識があるところで働く官僚作ったりするわけだ。そうすれば,「ああいうにやればいいんだ」とすればこれは右でも左でもないでしょ。企画立案能力でしょ。市の労働組合も喜び,市民も喜ぶようなことができるか。それができなきゃ,社会主義自由主義もないよ。そういうことを我々は言っているわけでしょ。

だから「われわれの天下にすれば日本の理科教育よくなる」なんて言っていないよ。われわれの天下でなくても仮説実験授業やればちゃんとよくなるようにしているわけでしょ。「もっと自由になればもっとよくする」というだけでしょ。ところが教育研究団体の多くは「われわれの天下になればよくなる」って言うけど,「われわれの天下」になる前は反対するだけ(笑い)
社会を改革するということは,どのような社会であろうとその中で企画立案して自分たちの仮説を出して,そしてそのもとで実験してみて,うまくいくという証明をすることができた人達が時代の変革を担うんだと。