災害救助活動体験記2(最終回)

7月23日(日)
 今度は最初から白樺湖まわりで9時前に着いた。S校長と落ち合って同じ班に。最初の説明で「イヤイヤながら来ている人は今すぐこの場から立ち去ってほしい」と言われる。それはそのとおりだろう。
[被災した畳の処理]
 今回の支援活動は東洋バルブ跡地に集まってきている被災した畳や家具の搬入、積み降ろし、分解ということである。畳の分解に割り当てられる。水の漬いた畳は重くて運ぶのに4人ではとても無理であった。軍手はだめ。ゴム手袋を使う。今日は長靴なので昨日よりずっとやりやすい。
 まず、スタイロ畳と本物の畳の分類。後で聞いたのだが、スタイロ畳は燃やすしかない、本物の畳は肥料にするとのことである。スタイロ畳を運んで積み重ねる。本物の畳はヘリをカッターで切り取る。その作業を1時間もやってから、「指示のしかたが間違っていた」という説明があり、ヘリと畳表を取り外すように改めて指示される。もう一度やり直し、午前いっぱいやって積み上げられている畳の4分の1くらいが処理できた。しかし、その後も続々と畳が搬入されてくる。畳は大変臭い。中にはピンクのカーディガンで来ている女性もいる。おしゃれなのかも知れないが、こんな時に……と思わずにいられない。しかし、その女性も仕事ぶりでは他の人たちに負けない。(ピンクのカーディガンは残念ながらどんどん汚れていく。)
 昼休み休憩。倉庫の中に敷かれたシートの上で昼食。いくら水を飲んでも足りない。体中の水が全部入れ替わるかと思うほどである。一緒のシートに坐った女性が畳から出た汚水がズボンに浸み込んだといって嘆いていた。
[家具の積み降ろし]
 午後もその作業の続き。3時頃畳の作業を打ち切って搬入された家具の片づけ等の指示をされる。家具のガラスと木製の部分の分解や、搬入してくるトラックの誘導である。トラック誘導を割り当てられ、次々に搬入される家具を降ろす。4時近くなるに連れてだんだんトラックが減り、待機時間が長くなる。4時終了の指示が出て、帰路に就いた。
[ボランティアについての私の考え]
 もともと、災害復旧、ボランティアには関心があった。阪神淡路大震災のときボランティアで行こうとして段取りしていたが家族の猛反対(死んだら困るという心配)で、行かなかった時以来、行ける機会があったらと日頃から思っていた。今回行く機会が訪れたと言うことである。
 今「学生運動」というものがなくなって、昔なら「学生運動」にエネルギーを注ぐことになったはずの学生たちはそのエネルギーをボランティアに振り向けているように思われる。直接知っているボランティアに熱心な若者に魅力的な人が多い。何より楽しく生きているように思われる。
 高校生の時『どうしたら幸福になれるか』という本で「共同体への貢献」が幸福の条件という趣旨のことが書いてあった。これに大いに共感した。『ソークラテースの思い出』(クセノフォン)にも「快を追求すれば幸福になるわけではない」という趣旨のことが書かれていて感ずるところが大いにあった。バートランド・ラッセルの『幸福論』でも「非個人的な興味」を持つことが幸福の重要な条件であると書いてあるのを読んで大いに共感した。その観点で多くの人たちを観察してその観点に立てない人たちが快を追求していくら追求しても幸福になれないでいることや、自分のことばかり考えている人が自分のためになっていない実情をたくさん見ることになった。これらの考えを一言で言えば「人間は自分だけ幸福になろうとしてもなれない」ということである。(自分だけ快適ということは可能かも知れないが)(それにしても最近の高校生は思想の書を読まないようだが、思想・哲学への渇望といったものはないのだろうか。「ないはずはない」とも思うのだが。ガイダンスが必要だと思う。もっとも「最近の~」と思うようになったのは私が年寄りになった証拠かも知れない。)
 かつて、指導要録の「公共心」という項目を書くときにいつも気になっていたことがあった。「一体自分自身には公共心があるのか」という問題意識である。自分の仕事を一生懸命やることがそのまま社会のためになるのだから、仕事への情熱がそのまま公共心とも言えよう。しかし、それだけではいけないのではないかという問題意識である。学生運動に情熱を燃やしたことがあったが、これは完全に自分のためでない活動、つまりはボランティア活動だった。あるとき学生同士の討論大会があった。(当時は大衆討議と呼んでいた。)
ある学生が
「君たちの行動は利己主義に基づいているのではないか。」
という問いかけに
「革命だって(当時は社会主義革命が本当にまもなく実現すると大部分の人が思っているという雰囲気があったのである)利益のためにやるのだから、利己主義で何が悪い。」
と発言した学生がいてあきれてしまった。ところがその発言に拍手する者が少なからずいてこのことにも驚いたものだ。
[エゴ越えざればエゴは守れず]
 エゴイズムに基づいた運動は成果を挙げない。その後の社会運動を観察し続けてきたがエゴイズムに基づく運動はほとんど成果を挙げなかったことが確認できた。
 現在、意欲・エネルギーのある若者が社会運動にではなくボランティアに向いていくのも、既成の運動がエゴイズムに基づいているとしか思えず、その運動は自分を(そして社会全体を)幸福にしないことを若い人たちが直感しているからではないだろうか。
 よけいなことを書いてしまった。

[今回の活動の感想]
 快か不快か         明らかに不快だった。
 大変か、大したことないか  明らかに大変だった。
 つらかったか        「とてもつらい」というほどではないがラクではなかった。
 自分の得になったか     得になっていない。
 しかし、不思議なことに楽しかったのである。なぜだろうか。参加している人たちの善意を実感出来たことが楽しかったのかもしれない。人間は他人の喜びを自分の喜びとして感ずることが出来るのだろう。
[奉仕活動と生徒の成長]
 人間関係がすぐこじれる生徒は、他人は自分のために存在していると思っているのではないか。自分が他人のためになる喜びを知れば、人間関係で悩むなどということはなくなる。
 今、多くの若者が(いや大人も)「快か不快か」「得か損か」「大変かラクか」だけで動いているように見える。「うざったい」などという言葉は自分の都合しか考えていない者の言い方である。自分勝手な人間の増加で社会の維持も危ぶまれる状況である。その自分勝手な行動を「憲法が保証している個人の自由だ」などと言えば憲法を変えなければならないと思う人が増えるのは当然であると思う。社会全体の中に自分を位置づけて自分の行動のしかたを決めていくような生き方を大部分の人々がするということを前提に作られているのが今の憲法であると思う。自分勝手は憲法の精神に反すること、快のみを追求しても幸福になれないことを生徒に教える必要があると思う。公の概念の教育が必要なのである。
 登校反省で奉仕活動をさせることはその生徒の内面の成長に非常に大きな意味を持つ。これが「罰としての強制労働」として捉えられている限り、生徒の成長はない。
 京都にノートルダム小学校というカトリックの私立小学校がある。私はその校長のシスター・ベアトリスという女性を大変尊敬している。彼女は校長職のかたわら、世界各地でもっとも困難なボランティア活動をしている。また、年に数日は独房に籠もり(カトリックにはそのような部屋があるのだそうである)他人との交流を断って瞑想するという。彼女は奉仕活動の意義や他人との交流を断って考えることの重要性を力説している。彼女は日々苦しいことをやっていて不幸なのだろうか。いや、誰にも増して幸福に生きているように見える。彼女は快を追求していないにもかかわらず、いや、快を追求していないが故に幸福であるのである。
 (以上の考えに批判もあると思いますが、こういう考えも選択肢の一つに入れていただければ幸いです。)
[具体的教訓]
 昼食・飲物は自分で用意する。リュックサックが必要。長靴でなければ不可。軍手よりゴム手袋
 どの道路が通れるかチェックすることが必要

 非常に充実した体験をしたので状況を知ってもらうために体験記を書こうと考えましたが、疲れてすぐには書けず、今日になりました。参考にしていただければと思います。