今年度最後の授業

最後の授業で授業通信を配りました。以下はその一部です。
 
 新しい試みをしたらどんな結果になるかあらかじめわかっているわけではありません。新しい試みをしようとしている他人の自由を奪ってはいけないのです。
  それ以上に他人の評価におびえて「こんなこと言ったら、他人はどう思うだろうか」「自分のことをだめなやつだと思うんではないか」などと考えて、自分の自由を奪うことはそれ以上に罪深いことです。
 みなさんがどのように考えているか、バンジーチャイムの感想文を読んでください。「わたしと同じようなデリケートな気持ちをもっている人はほかにもたくさんいるんだ」ということをわかってもらえるでしょうか。私自身もみなさんの感想を読ませてもらって大いに勇気づけられました。
 「みんなも私と同じようにデリケートさをもっているんだ」「いろいろな考えがあるんだな。自分の考えが恥ずかしいなんて思う必要はないな」と思ってもらえるでしょうか。
(中略)
 私自身、授業の計画を立てるとき「こんな授業したら、みんないやがるんじゃないだろうか」「いい大人がばかげたことをやっていて恥ずかしくないのかと思われないだろうか」などと考えると、このような授業はできなくなってしまいます。他人(この場合はみなさん)の評価の影におびえているのです。
 しかし、授業感想文を見ると、そのような心配がなかったことがわかります。ですから、感想文はとても大切です。感想文を読むと、「ヘェー、あの人はこんなことを感じていたんだ。私と同じだ」と感じることがたくさんあります。「自分の考えを言うと、みんなに馬鹿にされるのではないか」と思っていた人も、ほかの人の感想文を読むと、そんな心配は必要ないということに気づくのです。
 そして今後、他人の評価の影におびえなくなったみなさんが、みなさんが接する多くの人とともに、より自由に創造的に生きることができる社会をつくっていくことになるのではないかと期待しているのです。