板倉聖宣著『科学と方法』読書会 第3回

3月21日に第3回板倉聖宣著『科学と方法』読書会をやりました。今回は「科学的思考力の養成はいかにすればよいか」です。1965年に『仮説実験授業研究』No.4に発表されたものです。

今回も私が資料を提出しました。

以下資料より転載

第3回『科学と方法』板倉聖宣著 読書会メモ

2020年3月21日

読書会世話人 渡辺規夫


「科学的思考力の養成はいかにすればよいか──主として母親のために」
1965年に発行された『仮説実験授業研究』No.4所収

繰り返しについて
46ページ下から8行目
「子どもに好かれる童話はきまって同じようなくりかえしの話が出てくる。」
 桃太郎の話で「桃太郎が犬と猿と雉に会って、家来にならないかと言いました。」では子どもは満足しない。
 子どもにお話をせがまれた大人は、話をするという経験の中で、子どもがどういう話を喜ぶかに気づいたのであろう。
 他の民話を検討してみよう。
さるかに合戦
 あらすじ「蟹がおにぎりを持って歩いていると、ずる賢い猿が、拾った柿の種と交換しようと言ってきた。蟹は最初は嫌がったが、種を植えれば成長して柿がたくさんなり、ずっと得すると猿が言ったので、蟹はおにぎりと柿の種を交換した。
 蟹はさっそく家に帰って「早く芽をだせ柿の種、出さなきゃ鋏でちょん切るぞ」と歌いながらその種を植えた。種が成長して柿がたくさんなると、そこへやって来た猿は、木に登れない蟹の代わりに自分が採ってやると言う。しかし、猿は木に登ったまま自分ばかりが柿の実を食べ、蟹が催促すると、まだ熟していない青く硬い柿の実を蟹に投げつけた。蟹はそのショックで子供を産むと死んでしまった。
 カンカンに怒った子蟹達は親の敵を討つために、猿の意地悪に困っていた栗と臼と蜂と牛の糞を家に呼び寄せて敵討ちを計画する。猿の留守中に家へ忍び寄り、栗は囲炉裏の中に隠れ、蜂は水桶の中に隠れ、牛糞は土間に隠れ、臼は屋根に隠れた。そして猿が家に戻って来て囲炉裏で身体を暖めようとすると、熱々に焼けた栗が体当たりをして猿は火傷を負い、急いで水で冷やそうと水桶に近づくと今度は蜂に刺され、吃驚して家から逃げようとした際に、出入口で待っていた牛の糞に滑り転倒する。最後に屋根から落ちてきた臼に潰されて猿は死に、子蟹達は見事に親の敵を討った。」
ここで、
 ① 焼けた栗が体当たりした。
 ② 蜂が刺した。
 ③ 牛の糞で滑って転んだ。
 ④ 臼に押しつぶされた。
と4回、内容的には同じことが繰り返されている。このような繰り返しをすることで、話を聞く子どもが喜んだのである。このとき、子どもの頭の中で、予想・実験が繰り返されていたということに注目したのが板倉聖宣の認識論である。

新約聖書 マルコ伝
 「さて,ペテロが下の中庭にいると,大祭司に仕える女性の1人がやって来たa。 67 ペテロが体を温めているのを目にし,ペテロを真っすぐに見て,言った。「あなたも,あのナザレ人イエスと一緒にいました」。 68 しかしペテロはそれを否定し,「その人を知らないし,あなたが何を話しているのかも理解できない*」と言って,入り口の方に出ていった。 69 そこでも女性はペテロを目にし,そばに立っている人たちに,「この人は彼らの仲間です」と,また言い始めたb。 70 ペテロは再びそれを否定した。しばらくして,そばに立っていた人たちがまたもやペテロに言いだした。「確かにあなたは彼らの仲間だ。実際,ガリラヤ人ではないか」。 71 しかしペテロは,「あなたたちが言っている人など知らない」と言い,うそなら神罰を受けてもいいと誓い始めた。
72 すぐに,おんどりが2度目に鳴いたc。ペテロは,「おんどりが2度鳴く前に,あなたは3度,私を知らないと言いますd」とイエスから言われたことを思い出し,泣き崩れた。」
 このマルコ伝でも、ペテロは「イエスを知らない」と3回言っている。これはイエスの裁判が進行している最中のことである。歴史的に3回否定したのかはわからないが、伝承として伝えられるときに、3回繰り返すのが一番心に残るのではないだろうか。この話なども認識論の見地から注目すべきことと思う。

子どもの考えを馬鹿にしてはいけない
 私が受けた小学校教育は、この反対の方針だった。

科学者の思考の特長52ページ~53ページ
の①論理的②実証的はよく指摘されているが、
③科学の組織論の重要性は今日でも依然として軽視されている。
科学読み物の重視は③科学の組織論から当然出てくる方針なのである。

演繹か帰納か仮説実験か
 かつて科学教育研究協議会で理科の指導法は帰納法によるべきか演繹法によるべきかという論争があった。板倉聖宣さんはこれをどちらも間違い(あるいは不十分)として、仮説実験的であるべきだと主張した。これは科学史の研究から出てくる結論である。
演繹的なやり方で正しい結論に達するだろうか
 出来る場合もあり、できない場合もある。できない場合の方が多い。
例 デカルトは「絶対確かな事実から出発し、絶対確かな論理を積み重ねれば絶対確かな結論が得られる。」と主張した。その方法で研究した衝突の法則は7つあるとしたが、そのうち4つは間違いだった。
例 多くのデータをもとに未来を予測する。
  条件が変われば予測は当たらなくなる。地球温暖化により、洪水の危険を予測することができないくなった。経済高度成長時代のデータをもとにしても、成熟経済時代の予測をすることはできない。
今、論理的な能力をつけるという主張がしばしば見られる。論理的に考えれば間違えないと考えているのだろうか。
仮説実験的な能力を身につけることが大切なのである。」

引用終わり

 

今回は、論文の中にある実験を実際にやってみました。
ただし、アルコールを持ってくるのを忘れたので、水とアルコールを混ぜたときの体積を予想する問題の実験はできませんでした。
参加者の評価
5 とてもたのしかった 4人
4 たのしかった    2人
3 どちらでもない   0人
2 つまらなかった   0人
1 とてもつまらなかった 0人
●進め方はこれでよいです。〈予習はしなくてもよい〉これがよいです。読むことが目的で、サラッと進むのがいいです。
●読書会というのは初めてなのですが、1人で読むのとは違ったおもしろさ発見があります。やはり内容を共有でき、気楽に話し合える仲間・環境というのは良いものです。
●じっくり読めて大変有意義だと思います。渡辺さんから関連した話題なども紹介していただき、理解を深められてよいです。
●良いと思います。板倉さんの初期の文章を仲間とじっくり味わいながら読むというのはとても良いことです。なぜなら原点を確認できるからです。1時間があっという間です。これからさらにたのしみです。よろしくお願い致します。
●1人ではなかなか読めない・・・
●途中参加だったので十分堪能できなかったのですが、板倉さんの文に触れて初心に帰れました。