板倉聖宣さんの新資料

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板倉聖宣さんの新資料を発見しました。
『日本科学技術史資料大系事業報告』という冊子です。昭和37年5月5日日本科学史学会「大系」編集委員会が出した50ページの冊子で、板倉聖宣さんも執筆しています。「日本科学技術史資料大系」編集計画が1961年5月5日に行われ、「大系」編集準備委員会として湯浅、板倉、飯田の名前で編集方針が示されています。
方針として「学会会員が自主的に編集に参加できるような体制をとる。(集団討議)」となっていて、『たのしい授業』の公開編集会議という発想がこの頃に既に現れています。この発想は東大自然弁証法研究会の機関誌『科学と方法』では当然のことのようされていた発想ですが、学術団体の編集方針に現れたのは初めてではないでしょうか。(はじめてということを証明するのは簡単にはいきませんが)当時、板倉聖宣さんは30歳そこそこ、その年齢で編集方針の策定をリードしたように思われます。
「大系」の特色として「学会の最高水準」と「入門者にも専門家にも役に立つ」となっていて、役に立つにはアンダーラインが引かれています。
第3回の編集責任者会議で講談社から『近代日本教科書大系』が出版されたの重複を避けるために編集方針を変えるとしている。
第4、5、6回の編集責任者会議には板倉聖宣さんは出席していない。第5回は1962年2月3日で、この頃に都立教育研究所で板倉聖宣さんが講演し、上廻さんとの運命的出会いがあったはずです。それともそれは1963年?
この編集方針を見ると板倉聖宣さんが「小学校各級就学者数」を算出している記述が見えます。
貴重な資料を入手しました。とりあえず報告します。