freedomとliberty

牧衷さんの座談の一部を紹介します。
全文は『牧衷連続講座記録集Ⅲ』上田仮説出版に掲載されています。

以下座談
 自由ってのはね、これは大変でね。英語で自由っていうと2つあるでしょ。フリーダムfreedomとリバティlibertyね、これ若干ニュアンスが違うんですよ。
 リバティというのは、リベラルというと政治的なニュアンスがあるんですが、もともとの意味はどういう事かというと「気前がいい」という意味なんですよ。つまりお金持ちが貧乏人に対して気前がいいという意味で、「その気前のいいことができる」というのが自由ということです。自由度が大きいほど人におごってやれるんです。お大尽になればなるほど自由度が増えるんです。だからそういう意味で自由なんです。
 フリーダムの方はどうかというと、「ある保護規制の中に入るということ」で「完全に勝手気まま」ではないんです。ドイツ語にフォーゲルフライVogelfreiというのがある。フォーゲルというのは鳥です。フライはフリーダムね。だから小鳥の自由という意味です。小鳥のように自由ということは、一切の保護から自由になるということです。何をやってもいいんです。何やっても何も言われないんですが、その代わり保護もされないんです。
 日本語で「自由」というと「フリーダム」なんですが、「自由」という言葉は古くからあるんです。中世からあるんです。中世では「自由」という言葉は仏教用語なんです。これは勝手気ままなことをするという否定的な意味を持っているんです。だから福沢諭吉はフリーダムに「自由」という訳語をつける時に躊躇するんです。福沢諭吉は英語がよくできますから、フリーダムの意味を勝手気ままではないとよく知っているわけです。
 要するに共同体の保護の中に入って規制を受ける。そうするとその中で命と財産の保障がなされる、これが自由です。
 英語だと自由はリバティとフリーダムの2つの意味があるけど、ドイツ語ではフライハイトFreiheitでフリーダムだけ、イタリアではリベルタliberta 一本槍です。フランスはリベルテliberteで、リベラルだけです。
 リベラルにはローマ的なものがあるんですね。つまり自由というのはいずれにしても思い通りのことができるという意味なんです。思い通りのことができるということで、自由を考えた時にリバティの方はおごるという行為で自分のステータスを確認している訳です。だからおごればおごるほど自由度は高くなります。だから頼まれもしないのに慈善病院を作ったりできるんです。フリーの方は規制から自由になるということで小鳥のように自由だけれども、天秤の片一方に「命」という重りがかかってるんです。
 実は、僕はフォーゲルフライという言葉が大好きで(笑い)、若い頃は常識的な人からみれば放蕩無頼で撃ち殺されてもいいような生活やってましたけれども。

――昔読んだ英語の参考書の例文で「フリーダムとリバティは違う」とかいう英文があって「自由と放縦は違う」と訳されていたけれど、リバティをわがまま勝手のようなニュアンスで説明してあった。これは訳している人がわかってないんじゃないかな。
 フリーダムの場合はある村共同体の規制の中に入るということです。そうするとその村共同体にいる間は保護と保証が受けられるわけです。その共同体の中で身の安全が保証されて安気に暮らせる、そういう自由ということです。このときの自由ということは、規制に入ることが、前提になった上での自由なんです。
 何割かはフォーゲルフライになるんです。フォーゲルフライになったからといって飢えて死ぬ訳にいかない。それで、そういう連中はどこへ行くかというと、森へ行くんです。森って言うのは、後期の中世はそんなんじゃないけど、初期の中世の村落は20km2位の広さです。4km ×5km ね。1里四方位。その中に多くて300人位の集落がポツンとかたまってる。戸数にして30戸くらい。
 そこに三圃制の農場ができているんです。だけど村のはずれの森はまだ原始状態です。それでフォーゲルフライになった奴は森へいくわけです。だから森の中にはフォーゲルフライがいっぱいいるんです。フォーゲルフライの共同体ができるわけです。そいつらが何たるかというと、出てきて村を襲うわけです。これが狼男なんです。狼男は月がでると狼になるんです。村の人達もよく知っていて「月夜になると狼男が来るよ」って狼男の食事を出しとくんです。そして扉を閉めておく。
 そうするとフォーゲルフライの狼男たちがやってきて、お酒もおいてあるでしょうから賑やかにやって、また森へ戻っていくんです。(笑い)
 結局、本当に自由になろうと思ったらフォーゲルフライしかないんだけれども、本当の自由の天秤の片側には「死」が乗っかってるんです。「覚悟しいや!」ということです。「自由になるなら命賭けろ」ということです。「その気もないのにそんなことするな」ということになるんです。「その気があるならやってもよろしい」とね。