『教育』1977年12月号

イメージ 1

国土社から出ていた『教育』という雑誌「到達目標と教育課程」という《座談会》が掲載されています。板倉聖宣さん、坂元忠芳氏、中内敏夫氏、中原克己氏、志摩陽伍氏による座談会です。
板倉聖宣さんの発言
「たとえば学力の非常なたち遅れの問題というけれども、どこがどうたち遅れているのか。学力がたち遅れているからどこかの生産現場で働いている連中が困っているのかというと、そういう話はほとんど聞かないんです。つまり、学校で困っているという話しかないんですよ。」
「子どもたちがわからないのは教師が悪いこともあるけれども、必ずしも教師の責任ではない。教育目標そのものの責任だ、と。(中略)子どもたちは(中略)途中からはわかりたくなくてわからないのであつて、・・・」
「知識は訓練すればつくという。ある種の知識はたしかにつくのです。ところが世界観が変わるとか新しい見方が身につくということの測定は、楽しかったとか驚いたとかそういうことを見て測定するわけです。」
板倉聖宣さんの発言は他の教育学者の発言からは飛び離れていますが、説得力は板倉聖宣さんの方が上、議論していく内に板倉聖宣さんに同意していく様子が見て取れます。