上田仮説サークル論1

2000年8月26日に上田仮説サークルで発表した論文です。その後のサークル運営にどう反映されたかはっきりしません。
【論文の主旨】
 サークル運営にまじめさ、真剣さが必要。サークルの目的をはっきりさせて、その目的にふさわしい方法で運営すべきではないか。

以下論文

 上田仮説サークルのあり方について考えることにする。考えるようになった直接的理由は,最近の上田仮説サークルの参加者が少ないこと,かつての参加者で来なくなって久しい人が少なくないこと,充実度,満足度が以前より小さくなっているように思えることが気になるからである。しかも今年はたまたま,上田仮説サークル創立20周年である。これも一つのきっかけとして考えてみたい。

話の大前提

 サークルはどうあるべきか,どのように運営しようと考えるのは,主催者が決めることである。主催者以外は意見を言うことが出来るが,それを採用するかどうかは主催者の仕事であり,採用されなくて不満ならば,サークルに来なければいいのである。あるいは,自分で独自に別のサークルを作ればいいのである。

サークルでの需要の変化

 上田仮説サークルの大部分の人は仮説実験授業のベテランである。かつてのように,「授業書とは何か」「この実験はどうやるのかを知りたい」という需要はずっと小さくなってきているように思う。参加者数が減ったのは,参加者にとってサークルの必要性が小さくなってきたからであると考えることも出来そうである。
 入門講座の受講者のような需要は以前より小さくなってきた。サークルの主要な役目はそこ(授業書などの紹介)にあると考えれば,上田サークルの社会的役割を果たしてその寿命が尽きかけてきているのだと考えることもできるかもしれない。もしそうだとすれば,上田サークルのあり方を考えてもあまり意味がないということになりそうである。本当にそうだろうか。

上田仮説サークルの歴史

 上田仮説サークルは,「研究のためのサークル」と銘打って始められた。しかし,研究のために何をすればいいかわからなかった。ほとんど人が集まらない状態から,授業をする中で考えたことをしゃべり合う場として細々と続いていた。
 北村さんが参加するようになり,授業記録の検討がサークルの中心になった。実は,私はそれまで授業記録の検討が,研究の一部だとは思っていなかった。しかし,この授業記録の検討ということをやってみると,これは大いなる研究だということに気づくことになった。
 はじめは,仮説実験授業を宣伝する場,仮説実験授業をやった人がやる中で出会った困難や疑問を解決する,そのための助言を(私が)する場として考えていた節が自分自身にあった。しかし,授業記録を検討する中で授業運営法,授業通信の出し方,書き方,授業記録の書き方,発表のしかたなどの研究をしているだと気づくことが出来た。当時のサークルが成果をあげていた一番の証拠は,だれかの授業記録が出ると数か月後に同じ授業書による他の人の授業記録が出るようになったことだった。新しい授業書案の紹介,情報もサークルを通じて入ってきた。
 このころ入門講座をしばしば主催した。入門講座の主催者になることで,主催者自身が仮説実験授業をより深く学べることになり,このことがまた,一種の研究であった。
 しかし,その後入門講座はだんだんとやらなくなった。新たな初心者があまり獲得できないことも明らかになってきて,労力の割に成果が小さいこともだんだんやらなくなったことの原因だろうと思われる。
 牧衷さんを招いての講座も上田サークルの大きな特徴である。また,出版業,サークルニュースの発行でも多くの人が活躍した。これらも大きな研究活動である。

上田仮説サークルの財産

 こうした歴史の中で,上田仮説サークルは大きな財産を持つようになった。
 このサークルの最大の財産は
①すぐれた研究者がそろっていること
②すぐれた聞き手,すぐれた評価者がそろっていること
である。
 サークルに参加するとすぐれた研究に一緒に参加出来る。また,未完成の研究,思いつきなどをしゃべると非常に有益な反応を示してもらえるために,自分の研究が進む。これはちょっと比肩するものがないほど貴重な財産である。このような評価し合える研究集団を上田仮説サークル以外のところで求めようとしても,見つけることは困難である。

 サークルの質は,主催者の考えによるところも大きいが,それ以上にたまたま来ている人によって大きく変わってしまう。早い話が,いつもいいレポートを出す人がいれば,それだけでサークルは充実してしまうし,レポートする人がいなければ,だんだん雑談会になっていってしまう。だから,サークルは主催者によって良くなったり悪くなったりするものではないといえる。しかしまた,レポーターの良し悪しだけでサークルの質が決まるわけではない。サークルには出されたレポートや授業記録を適切に評価するという大きな役割がある。そして,この評価が適切であればサークルは充実するし,不適切であればだんだん衰退する。サークル発展のためには,よい研究をする人と同じくらい,よい研究を評価できる人が必要なのである。(だから「資料を読んでおいてください」では研究は進まないのである。発表し,それについて議論することが大切なのである。)

これだけの財産を持つ上田仮説サークルを考えると,「不満があれば別のサークルを作ればいい」と理屈の上で考えることは出来るが,実際問題としてはそれは不可能である。サークルを作ること自体はそれほど難しいことではない。しかし,今から新たに別のサークルを作ってもそれが上田仮説サークルと同等の(研究者,評価者を擁する)充実したサークルとなるには,大変時間がかかり,現在50歳の私には,無理である。作るにはやはり20年(70歳まで)かかるであろう。出来たとしても,高年齢のサークルがどの程度実践的課題を追求でき,どの程度の社会的意義を持ちうるだろうか。だからやはり,別のサークルを作るのではなく,上田仮説サークルの財産を有効に生かせるサークル運営に期待したいのである。