以下の記録を仮説実験授業研究会ニュースに投稿しました。12月号に載る予定です。
仮説実験授業成立の一断面
父母・同僚の仮説実験授業への疑問にどう答えたか
話 上廻 昭
聞き手 渡辺規夫
日時 2004年1月10日(土)午後4時~夜11時
会場 東京 ホテルフロラシオンにて
聞き手 渡辺規夫
日時 2004年1月10日(土)午後4時~夜11時
会場 東京 ホテルフロラシオンにて
この資料は仮説実験授業成立史研究のための基礎資料とするために上廻さんにお願いしたインタビューのテープ起こしの一部です。上廻さんに目を通していただきました。香川大会で発表したものですが、今回上廻さんの追悼という意味で研究会ニュースに投稿します。このテープ起こしの全体は別の形で発表する予定です。(2015年11月15日夜 長野県 渡辺規夫)
話は1963年,上廻昭さんが学習院初等科で世界ではじめて仮説実験授業をやっていた頃のことです。
渡辺 ところで学習院では仮説実験授業をすんなり実施することが出来たんですか。
上廻 すごい反対あったんですよ。先生からも親からも。
渡辺 まず先生たちからはどんな。
上廻 ある時職員室に入っていったらね,ある教師が教務課長(教頭)に話しているんですよ。僕がそこにいることを知っていて大きな声で言っているんです。「宮様のお子さまをお預かりするような学習院で,文部省が検定した教科書を使わずに,テキストを作って授業をすることが許されるんでしょうか。」って。そこで僕は「それは僕のことだと思いますが,みなさんに授業見ていただいたり,僕の考えを聞いたりしてもらったりしていないので,それをするための時間を是非設けていただきたい。」と教務課長に頼み,教務課長もすぐ決めてくれました。
職員会議のある木曜日に授業を見てもらい,午後2時半から始まる会議で僕が,回答者になって晩飯抜きで10時まで話し合いが続きました。
渡辺 「なぜ仮説実験授業をやっているのか」という追求の会ですか。
上廻 まあ,そういえばそうだけど,話し合っているうちに「上廻さんのやっているような取り組みをわれわれもすべきじゃないのか」という人が出て来た。初めは表現教科,美術や音楽の人たちが多かったです。「学習院は教育実験をしていた学校なんだ」と言って,賛意を表してくれた年輩の先生もいました。30人のうち8人の人が仮説実験授業をすることに賛成してくれ,他の人たちは反対しなくなって,「どうぞおやり下さい」ということになったんです。
渡辺 父母の抵抗はどうだったんですか。
上廻 世の中の人々が名前を知っているような親がいるわけですよ。その人が6年生の父母会の会長でね。「うちの子どものいとこは永田町小学校に行っていて同じ6年生なんです。そこで理科で習ってる天気図や地層のことを話題にしたのですが,うちの子は習ってないことが多いんです。それでいいんでしょうか」って言って来たんです。
そこで僕は「説明不足ですみません。新しくはじめた理科の授業についてお話ししたいと思います。次の参観日に私の授業を見ていただきその後話し合いをさせて下さい。」と伝え,何日後だったか110人もの母親が理科室に集まってくれました。その時の化粧品のにおいのいやだったこと。まだ鼻に残ってますけどね。(笑い)
何の授業したかは忘れましたけど,子どもはつぎつぎと意見を言うわけですよ。感想文があるからどれだけ子どもたちがこの授業を楽しんでくれているかもわかる。
授業が終わった後話し合いをしました。予想・討論・実験について話し,最後に僕は,「あなた方のお子さんが将来上司に言われたことを失敗せずに処理できる人間になってくれたらよいのですか,自分たちで新たな問題を見つけて,みんなで一緒にその問題に取り組み,考えあってその問題を解決し,前進していける人間になってもらいたいのですか。どちらですか。」と言って手を上げてもらったんです。そしたらほとんどの人は後者を望んでいることがわかりました。
「先生,もうよーくわかりました。先生にお任せします。よろしくどうぞ」って言って帰って行きました。
渡辺 それはいつごろですか。
上廻 それはふりこやって1963年の二学期でしょうね。仮説実験授業始めたばかり。「学習院だからできたんだ」と思ってるような人がいるようだけど,大変だったんですよ。
渡辺 それは,ほとんどの人はそう思わないんですよ。学習院は特権的な学校なんだから,親も特権的な教育をやってもらいたいと思っているだろうから,いい教育をやっているらしいからみんな積極的に最初から支持していたと思いますよ。そうじゃないですね。
上廻 そうですかねー。
渡辺 やっぱりそこで,上廻さんの誠実さとか,主張すべきことはきちんと主張するというそれまでの生き方がなかったら,そこでへこたれちゃったんじゃないですかね。あるいは,そこで文句が出るんじゃないかと思うだけでやめちゃうとか。仮説実験授業なんかやると親から文句が出るんじゃないかと思うだけでやらない人はいっぱいいるわけですよ。上廻 学習院では出来たけどわれわれは出来ないとですか。
渡辺 常にそういう理屈があるわけですよ。「理想的でいいかも知れないけれど現実的には出来ない」と思っている人はたくさんいるんですよ。
上廻 ほんとに仮説実験授業がいいと思ったら,そうやって親集めて,公立だってがんばらなきゃ。闘争しなきゃね。
上廻 すごい反対あったんですよ。先生からも親からも。
渡辺 まず先生たちからはどんな。
上廻 ある時職員室に入っていったらね,ある教師が教務課長(教頭)に話しているんですよ。僕がそこにいることを知っていて大きな声で言っているんです。「宮様のお子さまをお預かりするような学習院で,文部省が検定した教科書を使わずに,テキストを作って授業をすることが許されるんでしょうか。」って。そこで僕は「それは僕のことだと思いますが,みなさんに授業見ていただいたり,僕の考えを聞いたりしてもらったりしていないので,それをするための時間を是非設けていただきたい。」と教務課長に頼み,教務課長もすぐ決めてくれました。
職員会議のある木曜日に授業を見てもらい,午後2時半から始まる会議で僕が,回答者になって晩飯抜きで10時まで話し合いが続きました。
渡辺 「なぜ仮説実験授業をやっているのか」という追求の会ですか。
上廻 まあ,そういえばそうだけど,話し合っているうちに「上廻さんのやっているような取り組みをわれわれもすべきじゃないのか」という人が出て来た。初めは表現教科,美術や音楽の人たちが多かったです。「学習院は教育実験をしていた学校なんだ」と言って,賛意を表してくれた年輩の先生もいました。30人のうち8人の人が仮説実験授業をすることに賛成してくれ,他の人たちは反対しなくなって,「どうぞおやり下さい」ということになったんです。
渡辺 父母の抵抗はどうだったんですか。
上廻 世の中の人々が名前を知っているような親がいるわけですよ。その人が6年生の父母会の会長でね。「うちの子どものいとこは永田町小学校に行っていて同じ6年生なんです。そこで理科で習ってる天気図や地層のことを話題にしたのですが,うちの子は習ってないことが多いんです。それでいいんでしょうか」って言って来たんです。
そこで僕は「説明不足ですみません。新しくはじめた理科の授業についてお話ししたいと思います。次の参観日に私の授業を見ていただきその後話し合いをさせて下さい。」と伝え,何日後だったか110人もの母親が理科室に集まってくれました。その時の化粧品のにおいのいやだったこと。まだ鼻に残ってますけどね。(笑い)
何の授業したかは忘れましたけど,子どもはつぎつぎと意見を言うわけですよ。感想文があるからどれだけ子どもたちがこの授業を楽しんでくれているかもわかる。
授業が終わった後話し合いをしました。予想・討論・実験について話し,最後に僕は,「あなた方のお子さんが将来上司に言われたことを失敗せずに処理できる人間になってくれたらよいのですか,自分たちで新たな問題を見つけて,みんなで一緒にその問題に取り組み,考えあってその問題を解決し,前進していける人間になってもらいたいのですか。どちらですか。」と言って手を上げてもらったんです。そしたらほとんどの人は後者を望んでいることがわかりました。
「先生,もうよーくわかりました。先生にお任せします。よろしくどうぞ」って言って帰って行きました。
渡辺 それはいつごろですか。
上廻 それはふりこやって1963年の二学期でしょうね。仮説実験授業始めたばかり。「学習院だからできたんだ」と思ってるような人がいるようだけど,大変だったんですよ。
渡辺 それは,ほとんどの人はそう思わないんですよ。学習院は特権的な学校なんだから,親も特権的な教育をやってもらいたいと思っているだろうから,いい教育をやっているらしいからみんな積極的に最初から支持していたと思いますよ。そうじゃないですね。
上廻 そうですかねー。
渡辺 やっぱりそこで,上廻さんの誠実さとか,主張すべきことはきちんと主張するというそれまでの生き方がなかったら,そこでへこたれちゃったんじゃないですかね。あるいは,そこで文句が出るんじゃないかと思うだけでやめちゃうとか。仮説実験授業なんかやると親から文句が出るんじゃないかと思うだけでやらない人はいっぱいいるわけですよ。上廻 学習院では出来たけどわれわれは出来ないとですか。
渡辺 常にそういう理屈があるわけですよ。「理想的でいいかも知れないけれど現実的には出来ない」と思っている人はたくさんいるんですよ。
上廻 ほんとに仮説実験授業がいいと思ったら,そうやって親集めて,公立だってがんばらなきゃ。闘争しなきゃね。
あとがき
いかがでしたか。この聞き書きでこの話を聞くことが出来て大変うれしいです。上廻さんが疑問、反対に対して堂々と主張して仮説実験授業をやる条件を作り出したことに尊敬の念を新たにしました。自分もこうありたいと強く感じた一日でした。(渡辺規夫)
いかがでしたか。この聞き書きでこの話を聞くことが出来て大変うれしいです。上廻さんが疑問、反対に対して堂々と主張して仮説実験授業をやる条件を作り出したことに尊敬の念を新たにしました。自分もこうありたいと強く感じた一日でした。(渡辺規夫)