理科教育史こぼれ話1すなぐるま

6年前にK高校研究紀要に書いた文章を掲載します。

理科教育史こぼれ話

 長年,理科教育史を研究していると,気がつくことがたくさんある。自分でいろいろ工夫し開発した自慢の教材も,理科教育史を調べると既に同じことをやっていた人がいることに気づくことが多い。しかも,その教材を使った授業の成果がどんなものであったかについての結果も出ているのである。理科教育史は,膨大な理科教育失敗の記録でもある。失敗であるから学ぶ価値なしと考える人がいるが,失敗であるからこそ学ぶ価値があると考えるべきだ。多くの失敗からすくい取って今日生かせるものが多々あるのである。理科教育の壮大な失敗の歴史から学ばなければ,同様の失敗を繰り返すばかりだ。理科教育史は理科教材の宝庫なのである。
 ここでは,いくつかの失敗の例を取り上げることにする。

1 すなぐるま
 今から30年くらい前だろうか,「すなぐるま」という教材が小学校低学年理科教材として取り上げられていた。これは「かざぐるま」「水車」とセットになっているもので,教科書に次のような問題が載っていた。

[もんだい]
  すなぐるまにすなをかけてまわしてみましょう。
 図のア,イ,ウのどこにすなをおとしたときに
 すなぐるまはいちばんよくまわるでしょう。




        ┃
        ┃
        ┃
        ┃↓ ↓ ↓
  ━━━━┃━━━━
        ┃ア イ ウ
        ┃
        ┃
        ┃


── この実験をやるとどういう結果が出ると思う。
── 一番外側のウに落とした場合が一番よく回ると思うよ。《てこの原理》で考えれば,軸に近いところに落としてもよく回らない。
── この実験は多くの学校でやったけれどもうまく行かないことで有名だったんだ。たいていは,軸のところに砂がつまってすなぐるまはよくまわらないんだ。
── それは困ったね。先生達は砂のつまらないような工夫を研究したのかな。
── そういう工夫をしても,実験してみるとどうも結果がはっきりしないんだ。それで「ちゃんと実験するとウに落とすと一番よく回る」とまとめてしまう先生が多かったんだ。
── それは問題だな。
── 実は,この実験は「ウに落とすとよく回る」なんて結論にならないんだ。
── どうして? 《てこの原理》が間違っているとでもいうのかい?
── やってみると,すなぐるまが回り始めて,あるところまでいくと,羽根の逃げていくスピードと砂のぶつかろうとするときのスピードがほとんど同じになってしまうんだ。そのため,ウではほとんど砂は羽根にぶつからない。アでは羽根の逃げるスピードは小さいので砂はぶつかるんだけど,その効果は小さい。やってみるとどちらも同じなんだよ。
── そこまで気がつかなかったな。そういうことに気がついた先生はいたのかい?
── それが当時の授業記録を見る限り日本中どこでもそれに気がついてやった先生はいないんだ。みんな《てこの原理》で教えようとしてうまく行かないんだ。この問題は《てこの原理》を使って考える問題じゃないんだ。《てこの原理》は力が釣り合って静止している場合のことを言っているんだ。(より正確に言えば,力のモーメントが釣り合って静止している場合)すなぐるまのように連続的に回転する場合には当てはまらないんだ。この問題に《てこの原理》を適用しようとすることは,《てこの原理》がきちんとわかっていないということなんだ。
── もしそうだとすると,日本中の先生は《てこの原理》をきちんと理解していないことになるんじゃないか。
── そうなんだ。よくわかっていないことを振りまわしていたんだよ。これは《てこの原理》に限らない。法則をきちんと理解するということは見かけよりはるかに難しいんだ。だから自分でもよくわかっていない法則をわかっていると錯覚して振りまわしてしまう人が多いんだ。
── しかし,《てこの原理》程度で日本中の先生が間違えてしまうとすれば,普通の人が法則をきちんと理解することはほとんど不可能ということになるんじゃないかな。
── 「この問題が何を使って考えるべき問題か」という問題意識があれば,法則をきちんと理解することはそれほど難しいわけじゃない。すなぐるまや水車は何のための道具か考えてみるんだ。そうすれば,仕事をするための道具,エネルギーを取り出すための道具だということはすぐわかる。もし外側に砂を落とせばすなぐるまがよく回るのであれば,水力発電所ではタービンの先端に水を落とした方がいいということになる。それどころか,そのタービンを大きくして,半径100メートルくらいのタービンにして,その先端に水を落とせばずっと大きなエネルギーが取り出せることになる。そういうことに発電所は気がついていないのだろうかと考えてみればいいんだ。そんなことが現実にあったとしたら,エネルギー保存の法則に反する。そこから考えれば,《てこの原理》を使って考えるのは間違いだということがすぐわかる。
 要するに,この問題はエネルギーの問題であって,力(のモーメント)の問題ではないんだ。適用する法則が違えば結論が間違いになるのは当たり前なんだ。
── 自然科学の法則も,社会の法律もどちらも英語ではlawと言っているけれども,法律の場合もこれと似た間違いがあるかも知れないね。道路交通法違反で逮捕されたときに,憲法を持ち出して争ったりする人はいない。スチュワーデスが「制服は個人の自由に反する」と言ったりすることはないけれども,それと同じような単純な間違いが結構あるように思いますね。
── これまでの理科教育には「「この問題はいかなる法則を使って考えるべきか」という判断が大切だ」という観点がないんだ。法則を習うと,その法則を使って解く問題しか与えられない。与えられた問題が,習った法則を使って考えるべき問題なのか,その法則で考えてはならない問題なのかを考える訓練を受ける機会がないんだ。だから,法則が使える人がほとんどいないのは当たり前なんだ。法則の適用条件まできちんと知っていなければ法則を理解したとは言えない。実際のところ世の中の大部分の人は法則を使う自信がない人と,見当違いなところに法則を当てはめようとしてとんでもない間違いをしている人のどちらかなんだ。
 仮説実験授業ではそういうことが絶えず問題になるように授業が展開されるから,法則を主体的に理解できるようになる。実践的課題に取り組む気がない人にとっては法則を主体的に理解するなんてことは必要ないからね。
[結論]適用条件を知らなければ法則を理解したと言えない。社会の問題然り。