科学史学会

科学史学会ホームページhttps://historyofscience.jp/
に名和哲夫さんの文章が載っています。エクスカーションのご案内の中に載っています。
以下、引用
名和昆虫博物館 のご紹介
(1) 名和昆虫博物館の創設者の名和靖氏の紹介と創設の経緯 (現館長の名和哲夫会員は5代目です)、意義、その後の歴史
名和靖は、岐阜県本巣郡(現在の瑞穂市)の庄屋の孫として生まれ、幼いころ より、農家の人々の害虫に対する苦労を見聞きするうちに、害虫駆除のための 研究の必要性を感じ、名和昆虫研究所を独力で設立しました。その啓蒙普及の ための附属施設として、名和昆虫博物館が建てられ、靖亡き後、2代目梅吉、3 代目正男、4代目秀雄と引き継ぎ、現在に至ります。
(2) 板倉聖宣前学会会長との出会い、その後の関係、今回の講演との関係 (名和哲夫会員は仮説実験授業研究会の会員で、出会いは中学時代)
僕は、中学1年のとき、板倉聖宣氏の提唱した「仮説実験授業」を受け、体が 震えるような感動を味わったことがきっかけで、科学者になりたいと願うようにな りました。同氏との出会いは、仮説実験授業を通じてということになります。その 後、仮説実験授業研究会などでたびたびお会いするうちに、「名和昆虫博物館 のお金の流れを調べてくれないか。」という課題を与えられたことがきっかけで 名和昆虫博物館に出入りするようになりました。その後、博物館の仕事に忙殺 され、板倉氏からの課題を果たせずにいたのですが、2年ほど前に課題を解く べく決算書などを見ることができ、報告しようとしたときには、板倉氏は病床の身 で、その後報告の機会を失ってしまったので、会長をされていた科学史学会で その続編を報告しようと思い、入会し、この講演にいたりました。名和哲夫さんは旧姓高須哲夫で、岐阜大学大学院生のとき、板倉先生に名和昆虫館の調査を頼まれて名和昆虫館を訪問しているうちにそこの娘さんと意気投合して婿養子として入ることになったのだそうです。この結婚の恩人は板倉さんということになります。いいですね。今年の科学史学会ではこのエクスカーションにも参加するつもりです。